2008年03月20日
雨の一日
今日は、雨になってしまい、少し時間ができました。壊れてしまったFAXを買いに行きたいと思います。
雨の日は、山に行かず、家にいることが多いのですが、雨の日も山や自然はいろんなものを見せてくれます。写真は、一昨年の夏、栗駒山で撮影したウラジロヨウラクの花と水滴です。水滴は、どうして?と思うほど、反り返った萼にもきれいに付いています。萼や茎の表面にあるわずかな毛に付いているのでしょう。自然は、こんなに美しいものを誰に見せるためでもなく、ただそこにあるだけなんですね。自分もここまで無心の境地になれたら素晴らしいなと思うのですが・・・・・。
「ひきこもりの若者と生きる」に、著者の方が、引きこもる若者たちの多くが、なぜ人を怖がるのか?という疑問をこれから考えていきたいと書いていました。競争社会に確かに多くの問題が潜んでいるのですが、決してそれだけではないはずです。私自身も、会社に入ったばかりの頃は、対人恐怖の傾向がありました。なぜそうなったかというと、子どもの頃からいろんな年代の人たちと付き合ってこなかったために、自分を出せなかったし、どうやって付き合ったらよいかということも分からなかったからです。やはり経験がなかったということが一番大きかったように感じます。
経験がなかったということだけが原因とは思いませんが、今の子どもたちは、私以上に、親や学校の管理下に置かれ、「あれをしてはダメ、こうしなければダメ」と、親が道筋を立て、それからはみ出ることを許してもらえない状況にあると思います。失敗や親から見てやってはいけないことも、子どもは経験して、いろんなことを自然に学んでいくのだろうと思うのですが、それができないことが、人との接し方も分からなくしてしまうのかも知れません。全てではないにしても、原因の一つではないかと思います。

「ひきこもりの若者と生きる」に、著者の方が、引きこもる若者たちの多くが、なぜ人を怖がるのか?という疑問をこれから考えていきたいと書いていました。競争社会に確かに多くの問題が潜んでいるのですが、決してそれだけではないはずです。私自身も、会社に入ったばかりの頃は、対人恐怖の傾向がありました。なぜそうなったかというと、子どもの頃からいろんな年代の人たちと付き合ってこなかったために、自分を出せなかったし、どうやって付き合ったらよいかということも分からなかったからです。やはり経験がなかったということが一番大きかったように感じます。
経験がなかったということだけが原因とは思いませんが、今の子どもたちは、私以上に、親や学校の管理下に置かれ、「あれをしてはダメ、こうしなければダメ」と、親が道筋を立て、それからはみ出ることを許してもらえない状況にあると思います。失敗や親から見てやってはいけないことも、子どもは経験して、いろんなことを自然に学んでいくのだろうと思うのですが、それができないことが、人との接し方も分からなくしてしまうのかも知れません。全てではないにしても、原因の一つではないかと思います。