2010年04月19日
名古屋登稜会の頃
ヒマラヤのことは、これまでも何度か書いているので止めて、20代後半でもっとも充実していた名古屋登稜会の頃の写真です。
25歳から28歳半ばまでの3年9ヶ月、三重県の桑名に住み、名古屋の会社に通っていたのですが、入会して翌年から会のリーダーとなり、いろんな山に行きました。
最初に行ったのが、やはり御在所の藤内壁ですが、3月だったため、登っているうちに雪が降り出し、雪を払ってのトレーニングになりました。
その後、ゴールデンウィークに水戸葵の人たちと行った滝谷4尾根のあと、錫杖岳前衛フェース左方カンテを登りました。
まあ、その後は、次から次へといろんな所に行きましたが、昭和60年の年末に、前穂北尾根の3・4のコルで雪洞を掘っている最中にザックを風で飛ばされ、無事に帰ってきたものの、多くの方に心配や迷惑をおかけしたので、しばらく自粛していました。自粛といっても山に行かないだけで、スキーなどでしっかりと楽しんでいましたが。
そして、昭和61年は、60年に比べると控えめな山行が中心でした。それでも、いろんな山に行って楽しんでいましたが。
一番上の写真は、61年のゴールデンウィークに行った剣岳の八ツ峰です。前年の剣尾根に比べるとレベルがかなり落ちていたので、山スキーを担いで登ったのでした。写真は、5峰から懸垂で下りる準備をしているところです。
2番目の写真は、南山で行われた岩登り競技会の時の写真です。左にいる方は、フリークライミングの先駆者、檜谷清(誤字かもしれません?)さんです。成績は、ちょうど中間で、15位くらいだったと思います。このときは、坂下直江さんも来ていました。
3番目の写真は、東尋坊の奈落というルートを登っている写真です。上の岩の間で、パートナーが確保してくれています。
時々、遊覧船がこの岩の近くを見物に来ますし、岩の上の方でも見物人がたくさんいます。このルートではないですが、上に登り着いたら、拍手が起こり、こういう奴がいないとおもしろくないと観客が言っていました。
とにかく、名古屋登稜会時代は、錫杖岳、穂高岳、剣岳、唐沢岳、明星山、海谷、宝剣岳、北岳などの岩場を楽しみ、非常に充実していた3年9ヶ月でした。
25歳から28歳半ばまでの3年9ヶ月、三重県の桑名に住み、名古屋の会社に通っていたのですが、入会して翌年から会のリーダーとなり、いろんな山に行きました。
最初に行ったのが、やはり御在所の藤内壁ですが、3月だったため、登っているうちに雪が降り出し、雪を払ってのトレーニングになりました。
その後、ゴールデンウィークに水戸葵の人たちと行った滝谷4尾根のあと、錫杖岳前衛フェース左方カンテを登りました。
まあ、その後は、次から次へといろんな所に行きましたが、昭和60年の年末に、前穂北尾根の3・4のコルで雪洞を掘っている最中にザックを風で飛ばされ、無事に帰ってきたものの、多くの方に心配や迷惑をおかけしたので、しばらく自粛していました。自粛といっても山に行かないだけで、スキーなどでしっかりと楽しんでいましたが。
そして、昭和61年は、60年に比べると控えめな山行が中心でした。それでも、いろんな山に行って楽しんでいましたが。
一番上の写真は、61年のゴールデンウィークに行った剣岳の八ツ峰です。前年の剣尾根に比べるとレベルがかなり落ちていたので、山スキーを担いで登ったのでした。写真は、5峰から懸垂で下りる準備をしているところです。
2番目の写真は、南山で行われた岩登り競技会の時の写真です。左にいる方は、フリークライミングの先駆者、檜谷清(誤字かもしれません?)さんです。成績は、ちょうど中間で、15位くらいだったと思います。このときは、坂下直江さんも来ていました。
3番目の写真は、東尋坊の奈落というルートを登っている写真です。上の岩の間で、パートナーが確保してくれています。
時々、遊覧船がこの岩の近くを見物に来ますし、岩の上の方でも見物人がたくさんいます。このルートではないですが、上に登り着いたら、拍手が起こり、こういう奴がいないとおもしろくないと観客が言っていました。
とにかく、名古屋登稜会時代は、錫杖岳、穂高岳、剣岳、唐沢岳、明星山、海谷、宝剣岳、北岳などの岩場を楽しみ、非常に充実していた3年9ヶ月でした。
Posted by アルプ at 19:38│Comments(4)
│登山
この記事へのコメント
網干様へ
とても元気そうですね。たまたま登稜会のことをネットで調べていたら網干さんのホームページにたどり着きました。なつかしさで胸が、高鳴りました。最近は、1年に2~3回の登山で元登稜会の成瀬さんと行くようになりました。また山への体力向上のためにマラソンを2年前から初め今、サブフォーをめざしがんばってます。最近、山より夢中かなぁ?また、どこかでお会いしたいですね。
追伸、10月23、24日で登稜会OBが錫杖へ追悼山行へ行くそうです。
とても元気そうですね。たまたま登稜会のことをネットで調べていたら網干さんのホームページにたどり着きました。なつかしさで胸が、高鳴りました。最近は、1年に2~3回の登山で元登稜会の成瀬さんと行くようになりました。また山への体力向上のためにマラソンを2年前から初め今、サブフォーをめざしがんばってます。最近、山より夢中かなぁ?また、どこかでお会いしたいですね。
追伸、10月23、24日で登稜会OBが錫杖へ追悼山行へ行くそうです。
Posted by 陸浦幸人 at 2010年09月22日 13:21
陸浦さん、久しぶり~!
こちらは、毎週山に行っていますよ。
前の会社を飛び出して、8年以上になりますが、とにかく貧乏暇なしです。
サブフォーというんだ。がんばってね。
一昨年の5月だったかな、新穂高から槍に行ったとき、錫杖の前衛フェースがちらりと見えました。本当に、青春がいっぱい詰まったなつかしい思い出だね。
来年あたり、山仲間アルプで鈴鹿を計画しようかな? そのときは、ぜひ来てくださいね。
こちらは、毎週山に行っていますよ。
前の会社を飛び出して、8年以上になりますが、とにかく貧乏暇なしです。
サブフォーというんだ。がんばってね。
一昨年の5月だったかな、新穂高から槍に行ったとき、錫杖の前衛フェースがちらりと見えました。本当に、青春がいっぱい詰まったなつかしい思い出だね。
来年あたり、山仲間アルプで鈴鹿を計画しようかな? そのときは、ぜひ来てくださいね。
Posted by 網干 at 2010年09月22日 18:44
はじめまして
お会いしたことはありませんが、登稜会に在籍していました。藤内や錫杖、宝剣などに出かけていた日を懐かしく思い出しました。陸浦さんの話している成瀬さんは、成瀬和夫さんでしょうか。そのころ在籍していました。
岩登りや沢登り、色々教えていただいた会です。本当懐かしかったです。
突然で失礼しました。
お会いしたことはありませんが、登稜会に在籍していました。藤内や錫杖、宝剣などに出かけていた日を懐かしく思い出しました。陸浦さんの話している成瀬さんは、成瀬和夫さんでしょうか。そのころ在籍していました。
岩登りや沢登り、色々教えていただいた会です。本当懐かしかったです。
突然で失礼しました。
Posted by 丸山 保江 at 2014年02月03日 15:01
丸山さん、もう読んでいないでしょうか?
すっかりブログから離れていたので見落としていました。申し訳ありませんでした。
成瀬和夫さんです。成瀬さんもfacebookで活躍中です。
facebookを楽しんでいますが、またブログも復活させます。
すっかりブログから離れていたので見落としていました。申し訳ありませんでした。
成瀬和夫さんです。成瀬さんもfacebookで活躍中です。
facebookを楽しんでいますが、またブログも復活させます。
Posted by アルプ at 2015年01月29日 21:11
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