2012年08月12日
楽しいことと幸せは違う
先週は、山仲間アルプの「自然と親しむ子ども山登り教室」で、立山を縦走してきました。
子どもたちに、剣岳の勇姿を存分に見せてあげたいと思い、最後は剣沢小屋に泊まりました。写真は、小屋の近くにある池に映った剣岳です。
ここに池があることを知らない人が多いため、とても静かな剣岳ビューポイントです。
話は変わりますが、いろんなことをして楽しいと感じることはとても大切なことだと思います。
しかし、私は、「楽しいことは良いことだ」とする考えには、大切なことが不足していると思います。
一つは、楽しいだけではなく、なぜ楽しいのかを考えることで、人としての奥行きが深まるということです。そこを考えずに、楽しいだけで終わると、人としての深みを持てないように思います。
もう一つは、楽しいと喜んでいる影には、必ず楽しめずに苦しんでいる人がいるということを認識し、それらの人のことを考えることが大切だということです。
引きこもる人たちび中には、人が楽しんでいるのを見ると落ち込む人が大勢います。それらの人たちのことを考えたら、無条件には楽しめないと思います。
また、最も問題だと思うのは、例えば、いじめをする人は、いじめをすることを楽しいと感じて、人をいじめている場合が多いのです。どんなに楽しくても、人を苦しめては良くないはずです。
ただ、いじめをする子に、「おまえは幸せか?」と聞くと、きっと「幸せじゃないよ」と返ってくると思うのです。楽しいと感じていても、幸せだとは思っていない。なぜなら、彼らは、大人から認められなかったり、先生から頭ごなしに命令されたり、自分を認めてもらえないことによるストレスを抱えています。
そして、自分よりも惨めな状態にある子を見て楽しみ、そういう状態にある子を作り出して、優越感に浸って、満たされないものを埋め合わせする。
すべてではありませんが、かなり多くのケースに当てはまる、いじめる側の心理ではないでしょうか?
楽しいことは決して悪いことではありません。しかし、ゆがんだ楽しさもあります。ゆがんだ楽しさを持った人が、純粋な楽しさを持つようになるには、幸せになることが一番だと思います。
その場合、もっとも重要なのは、「幸せとは何か」をよく考えることなんですね。
子どもたちに、剣岳の勇姿を存分に見せてあげたいと思い、最後は剣沢小屋に泊まりました。写真は、小屋の近くにある池に映った剣岳です。
ここに池があることを知らない人が多いため、とても静かな剣岳ビューポイントです。
話は変わりますが、いろんなことをして楽しいと感じることはとても大切なことだと思います。
しかし、私は、「楽しいことは良いことだ」とする考えには、大切なことが不足していると思います。
一つは、楽しいだけではなく、なぜ楽しいのかを考えることで、人としての奥行きが深まるということです。そこを考えずに、楽しいだけで終わると、人としての深みを持てないように思います。
もう一つは、楽しいと喜んでいる影には、必ず楽しめずに苦しんでいる人がいるということを認識し、それらの人のことを考えることが大切だということです。
引きこもる人たちび中には、人が楽しんでいるのを見ると落ち込む人が大勢います。それらの人たちのことを考えたら、無条件には楽しめないと思います。
また、最も問題だと思うのは、例えば、いじめをする人は、いじめをすることを楽しいと感じて、人をいじめている場合が多いのです。どんなに楽しくても、人を苦しめては良くないはずです。
ただ、いじめをする子に、「おまえは幸せか?」と聞くと、きっと「幸せじゃないよ」と返ってくると思うのです。楽しいと感じていても、幸せだとは思っていない。なぜなら、彼らは、大人から認められなかったり、先生から頭ごなしに命令されたり、自分を認めてもらえないことによるストレスを抱えています。
そして、自分よりも惨めな状態にある子を見て楽しみ、そういう状態にある子を作り出して、優越感に浸って、満たされないものを埋め合わせする。
すべてではありませんが、かなり多くのケースに当てはまる、いじめる側の心理ではないでしょうか?
楽しいことは決して悪いことではありません。しかし、ゆがんだ楽しさもあります。ゆがんだ楽しさを持った人が、純粋な楽しさを持つようになるには、幸せになることが一番だと思います。
その場合、もっとも重要なのは、「幸せとは何か」をよく考えることなんですね。
Posted by アルプ at 11:35│Comments(0)
│心の話し
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