2011年12月30日
心を見つめて
2011年も押し迫ってきました。
今年は、東日本大震災という未曾有の大災害があり、大変な一年でした。
被災されて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、生存された方の心が穏やかになり、安定した生活に戻ることを心から願っています。
この世のものとも思えない大自然の偉大な力を見せつけられ、逃げることが精一杯で、波にのまれていく多くの人たちを目の当たりにされた方々の心痛を思うと、何もできなかった自分が歯がゆく思います。
人は、苦しい思いや悲しい思いが、心を満たしてくると、どうしても人を嫉んだり、憎んだり、自分を責めたり、世間一般の常識で良くない心といわれている気持ちに苛まれます。
「人を憎むことは良くないことだ」なんて、一般常識を振りかざす人は、人の心の奥が分からない人なんですね。
憎む気持ちを持つのには、ちゃんとその理由があります。その理由に目を向け、しっかりと見つめることが心の豊かさにつながります。
人を憎みたくて憎む人など、ほとんどいません。怒りたくて怒る人もほとんどいません。
憎みたくない、怒りたくない、だけど苦しくて、切なくて、どこにぶつけて良いか分からない、だから憎んだり怒ったりするのです。
その人の心をしっかりと見つめ、その奥にある深い心をくみ取って、傾聴の気持ちで、「つらいね」「苦しいね」とその気持ちを受け止めてあげると、とがっていた心も次第に落ち着いてくるのです。人の心は、誰もがそれほど変わりません。
ところが、世の中の常識は、憎むことも怒ることも良くないことだと決めつけています。だから、そんな苦しい胸の内を聞いて欲しいと思っても、人に話すことができません。しかも、「がんばれ日本」「東北がんばろう」と言われていますから、それに逆行する気持ちは、誰にも言えなくなります。だから、ますますつらくなります。
批判的な気持ちなどどこかに捨てて、黙ってその人の気持ちに寄り添って、ありのままの本音を受け入れることが大切ですし、受け入れてもらえなければ、心の傷はなかなか癒えないですね。
被災された方たちは、本当に苦しい思いをしています。経済的なことでは、ほとんど力になれないので、心の面で力になりたいと思ったのですが、結局、自分にできたのは、震災から5ヶ月もたってから、被災されたおばあちゃんの話に耳を傾けるくらいでした。
来年は、みんなが幸せを感じられる年になることを願っています。
今年は、東日本大震災という未曾有の大災害があり、大変な一年でした。
被災されて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、生存された方の心が穏やかになり、安定した生活に戻ることを心から願っています。
この世のものとも思えない大自然の偉大な力を見せつけられ、逃げることが精一杯で、波にのまれていく多くの人たちを目の当たりにされた方々の心痛を思うと、何もできなかった自分が歯がゆく思います。
人は、苦しい思いや悲しい思いが、心を満たしてくると、どうしても人を嫉んだり、憎んだり、自分を責めたり、世間一般の常識で良くない心といわれている気持ちに苛まれます。
「人を憎むことは良くないことだ」なんて、一般常識を振りかざす人は、人の心の奥が分からない人なんですね。
憎む気持ちを持つのには、ちゃんとその理由があります。その理由に目を向け、しっかりと見つめることが心の豊かさにつながります。
人を憎みたくて憎む人など、ほとんどいません。怒りたくて怒る人もほとんどいません。
憎みたくない、怒りたくない、だけど苦しくて、切なくて、どこにぶつけて良いか分からない、だから憎んだり怒ったりするのです。
その人の心をしっかりと見つめ、その奥にある深い心をくみ取って、傾聴の気持ちで、「つらいね」「苦しいね」とその気持ちを受け止めてあげると、とがっていた心も次第に落ち着いてくるのです。人の心は、誰もがそれほど変わりません。
ところが、世の中の常識は、憎むことも怒ることも良くないことだと決めつけています。だから、そんな苦しい胸の内を聞いて欲しいと思っても、人に話すことができません。しかも、「がんばれ日本」「東北がんばろう」と言われていますから、それに逆行する気持ちは、誰にも言えなくなります。だから、ますますつらくなります。
批判的な気持ちなどどこかに捨てて、黙ってその人の気持ちに寄り添って、ありのままの本音を受け入れることが大切ですし、受け入れてもらえなければ、心の傷はなかなか癒えないですね。
被災された方たちは、本当に苦しい思いをしています。経済的なことでは、ほとんど力になれないので、心の面で力になりたいと思ったのですが、結局、自分にできたのは、震災から5ヶ月もたってから、被災されたおばあちゃんの話に耳を傾けるくらいでした。
来年は、みんなが幸せを感じられる年になることを願っています。
2011年12月24日
良い面だけを見るなんて?
よく、人の良い面だけを見ることが大切だという人がいます。みなさんは、どう思いますか?
そのような見方でその人が幸せなら、それでなにも問題はありません。ただ、必ずいつか問題が起きることがあるはずです。果たしてそのときも、そう思っていられるでしょうか?
浅い関係しかない人となら、その人の良い面だけを見て付き合えます。私も、はじめて人に会うと、ほとんどの人を良い人だと思います。でも、最近は、良い人とも悪い人とも思わず、そのままを受け止めようと思っていますが。
関係の深い人といえば、まず思い浮かぶのは、夫婦や親子、嫁姑の関係ですね。この関係で、果たして良い面だけを見て付き合っていくことができるでしょうか? まずできる人はいないでしょう。できなくて良いのです。
人と人が長く付き合っていれば、いろんなことが見えてきます。良い面も良くない面もたくさん見えてきます。大切なのは、良くない面をどのように受け止めたら良いのかをしっかりと考えることなのです。
良くない面をそのまま指摘したら、相手は怒り出して、けんかになるだけです。そういう体験も大切です。それらのうまくいかなかった体験を通して、いろんなことを学んでいきます。
相手のことを思えば、欠点をできるだけ押さえられるように、相手をカバーしたり、さりげなく伝えてあげることが必要になります。そうしなければ、相手の人は、その欠点のために、大きな失敗をしてしまうかも知れないのですから。
しかし、良い点だけしか見ようとしないと、相手の人に適切なアドバイスもできないし、何よりも相手のことを見つめてあげていないことになります。
良い点だけを見ないようにという考え方は、言い方を変えると、人と深く関わるなという処世術の一つなんですね。
とにかく私はリーダーをしていますが、リーダーは、誰よりもいろんなことを見せつけられますから、否が応でも欠点を見つけますし、また、欠点もしっかりと見なければならないのですね。それでなければ、人から動いてもらうことはできないですし、欠点に気づいていないと、取り返しのつかない失敗をしてしまう可能性も多分にあります。
人を長所も欠点も、できるだけ多く、あるがままに見つめ、受け止め、そして、その欠点をどのようにカバーしたらよいか考えることはとても大切なことであり、相手のためにもなることなんですね。最低限、リーダーにはそれが求められます。
そのような見方でその人が幸せなら、それでなにも問題はありません。ただ、必ずいつか問題が起きることがあるはずです。果たしてそのときも、そう思っていられるでしょうか?
浅い関係しかない人となら、その人の良い面だけを見て付き合えます。私も、はじめて人に会うと、ほとんどの人を良い人だと思います。でも、最近は、良い人とも悪い人とも思わず、そのままを受け止めようと思っていますが。
関係の深い人といえば、まず思い浮かぶのは、夫婦や親子、嫁姑の関係ですね。この関係で、果たして良い面だけを見て付き合っていくことができるでしょうか? まずできる人はいないでしょう。できなくて良いのです。
人と人が長く付き合っていれば、いろんなことが見えてきます。良い面も良くない面もたくさん見えてきます。大切なのは、良くない面をどのように受け止めたら良いのかをしっかりと考えることなのです。
良くない面をそのまま指摘したら、相手は怒り出して、けんかになるだけです。そういう体験も大切です。それらのうまくいかなかった体験を通して、いろんなことを学んでいきます。
相手のことを思えば、欠点をできるだけ押さえられるように、相手をカバーしたり、さりげなく伝えてあげることが必要になります。そうしなければ、相手の人は、その欠点のために、大きな失敗をしてしまうかも知れないのですから。
しかし、良い点だけしか見ようとしないと、相手の人に適切なアドバイスもできないし、何よりも相手のことを見つめてあげていないことになります。
良い点だけを見ないようにという考え方は、言い方を変えると、人と深く関わるなという処世術の一つなんですね。
とにかく私はリーダーをしていますが、リーダーは、誰よりもいろんなことを見せつけられますから、否が応でも欠点を見つけますし、また、欠点もしっかりと見なければならないのですね。それでなければ、人から動いてもらうことはできないですし、欠点に気づいていないと、取り返しのつかない失敗をしてしまう可能性も多分にあります。
人を長所も欠点も、できるだけ多く、あるがままに見つめ、受け止め、そして、その欠点をどのようにカバーしたらよいか考えることはとても大切なことであり、相手のためにもなることなんですね。最低限、リーダーにはそれが求められます。
2011年12月08日
堀田力さんの講演会
今日は、NPO法人ユーアイやちよ主催の堀田力さんの講演会に行って来ました。
東日本大震災の仮設住宅の支援から始まって、地域包括ケアの話など、有意義な話を聴かせていただきました。
東日本大震災の話は、宮城や岩手、福島などで被災した人たちの癒しに、ツアーバスを企画したが、茨城県の人から、私たちのところには来ないのかという話があったそうです。
それではと、バスを出すことにして、温泉に行く前にどこか観光地に寄りますかと話をすると、仮設住宅に住む人たちは、福島の人たちを励ましに行きたいと言ったそうです。
堀田さんは、そのことをすばらしいと言っていたのですが、私も実際に体験しなければ何とも言えないのですが、気持ちの上では、普段からそうするだろうなと思っています。また、マザーテレサが、路上に倒れている人たちの気持ちを救う活動をはじめたのは、インドで、今にも死にそうなやせ細った貧しい人に、食べ物を配った時、その人はそれを食べずに奥に持っていって行き、寝たきりで食べ物をもらいにでられない人に、与えていた姿に接したことが大きな理由だったと聞いています。
自分がぎりぎりの状態にあっても、それ以上に大変な人のために施す、その気持ちこそ、人として非常に尊い気持ちですよね。
バスで福島に行った人たちは、現地の人を前にして、どんな言葉も出せなかったそうです。しかし、しばらくして、お互いに抱き合ったと言うことです。「がんばってください」なんて、びんびんに気持ちが張ってがんばり続けている人に対して、言う言葉ではありません。「これ以上、何をがんばったらよいのですか? 何をがんばれというのですか?」と言いたくなります。無責任な言葉ですよね。
こんな時、言葉は大きな意味を持たないですね。
それと、堀田さんは、特捜部の検事として活躍してこられた方ですが、相手はみんな1億円以上脱税するような大金持ちです。堀田さんは言っていました。大金持ちの人たちは、みんな幸せではなかったと。
心がないと、金の切れ目が縁の切れ目ですからね。大金持ちには、人と人との心のつながりがなかったようです。
生きるために最低限必要なお金と少しの余裕資金程度で十分ですね。ただ、社会の役に立つことをしようと思っても、制約が多いのが現実です。私も、2カ所のNPOで働き、今は放課後子ども教室のスタッフとしてアルバイトをしていて、これ自体が社会貢献につながっていると思いますし、引きこもりの人たちの親の人たちが集まるところに行って、話を聞き、こちらもいろいろ話しています。八千代市の市民活動サポートセンターの運営委員長もしていますが、これらは当然ですが、ボランティアです。
NPOで得られる収入は、日常生活ができるぎりぎりの線をまだ少し下回っているかなというくらいですから、これ以上、ボランティアでは自分の生活がなりいかなくなりますね。
それでも、できる限りのことはしたいと思っているので、がんばるよりは楽しく、自分の人生を生きたいですね。人から見たら苦労だと思われる部分もあると思いますが、それ自体を楽しめると思っていますので。
20歳くらいの頃、「どんな苦労にも負けない強さが好き そして、苦労を苦労と思わない明るさが欲しい」と書いたことがあるのですが、少しはそんな明るさを持てるようになれたかなと思うのですが、どうでしょうか?
東日本大震災の仮設住宅の支援から始まって、地域包括ケアの話など、有意義な話を聴かせていただきました。
東日本大震災の話は、宮城や岩手、福島などで被災した人たちの癒しに、ツアーバスを企画したが、茨城県の人から、私たちのところには来ないのかという話があったそうです。
それではと、バスを出すことにして、温泉に行く前にどこか観光地に寄りますかと話をすると、仮設住宅に住む人たちは、福島の人たちを励ましに行きたいと言ったそうです。
堀田さんは、そのことをすばらしいと言っていたのですが、私も実際に体験しなければ何とも言えないのですが、気持ちの上では、普段からそうするだろうなと思っています。また、マザーテレサが、路上に倒れている人たちの気持ちを救う活動をはじめたのは、インドで、今にも死にそうなやせ細った貧しい人に、食べ物を配った時、その人はそれを食べずに奥に持っていって行き、寝たきりで食べ物をもらいにでられない人に、与えていた姿に接したことが大きな理由だったと聞いています。
自分がぎりぎりの状態にあっても、それ以上に大変な人のために施す、その気持ちこそ、人として非常に尊い気持ちですよね。
バスで福島に行った人たちは、現地の人を前にして、どんな言葉も出せなかったそうです。しかし、しばらくして、お互いに抱き合ったと言うことです。「がんばってください」なんて、びんびんに気持ちが張ってがんばり続けている人に対して、言う言葉ではありません。「これ以上、何をがんばったらよいのですか? 何をがんばれというのですか?」と言いたくなります。無責任な言葉ですよね。
こんな時、言葉は大きな意味を持たないですね。
それと、堀田さんは、特捜部の検事として活躍してこられた方ですが、相手はみんな1億円以上脱税するような大金持ちです。堀田さんは言っていました。大金持ちの人たちは、みんな幸せではなかったと。
心がないと、金の切れ目が縁の切れ目ですからね。大金持ちには、人と人との心のつながりがなかったようです。
生きるために最低限必要なお金と少しの余裕資金程度で十分ですね。ただ、社会の役に立つことをしようと思っても、制約が多いのが現実です。私も、2カ所のNPOで働き、今は放課後子ども教室のスタッフとしてアルバイトをしていて、これ自体が社会貢献につながっていると思いますし、引きこもりの人たちの親の人たちが集まるところに行って、話を聞き、こちらもいろいろ話しています。八千代市の市民活動サポートセンターの運営委員長もしていますが、これらは当然ですが、ボランティアです。
NPOで得られる収入は、日常生活ができるぎりぎりの線をまだ少し下回っているかなというくらいですから、これ以上、ボランティアでは自分の生活がなりいかなくなりますね。
それでも、できる限りのことはしたいと思っているので、がんばるよりは楽しく、自分の人生を生きたいですね。人から見たら苦労だと思われる部分もあると思いますが、それ自体を楽しめると思っていますので。
20歳くらいの頃、「どんな苦労にも負けない強さが好き そして、苦労を苦労と思わない明るさが欲しい」と書いたことがあるのですが、少しはそんな明るさを持てるようになれたかなと思うのですが、どうでしょうか?