2011年07月24日
女峰山その2
山頂で撮影したキアゲハ
タカネニガナ
女峰山山頂にて。他の人から撮していただいたものですが、少し空の部分が多かったようです。
山頂からの下り。急で転がると大変なため、ロープをフィックスし、子どもたちにはソウンスリングとカラビナを使ってロープとつながって下ってもらいました。
ヒメコゴメグサ
ヒメクロマメノキ
大真名子山の向こうに皇海山が見える
帝釈山から見た女峰山
帝釈山山頂にて
帝釈山から日光方面の麓を見下ろす
きれいに咲きそろったゴゼンタチバナ。ゴゼンタチバナは、葉が4枚のものと6枚のものがありますが、花を付けるのは6枚のものだけです
タカネニガナ
女峰山山頂にて。他の人から撮していただいたものですが、少し空の部分が多かったようです。
山頂からの下り。急で転がると大変なため、ロープをフィックスし、子どもたちにはソウンスリングとカラビナを使ってロープとつながって下ってもらいました。
ヒメコゴメグサ
ヒメクロマメノキ
大真名子山の向こうに皇海山が見える
帝釈山から見た女峰山
帝釈山山頂にて
帝釈山から日光方面の麓を見下ろす
きれいに咲きそろったゴゼンタチバナ。ゴゼンタチバナは、葉が4枚のものと6枚のものがありますが、花を付けるのは6枚のものだけです
2011年07月24日
女峰山その1
23日は、毎年恒例となっている、以前勤めていた会社の仲間と日光の女峰山に登ってきました。
大雲海を見下ろす好天に恵まれ、大展望と仲間との交流を楽しんできました。今回、初登山の小学1年生K君は、お姉さんの小学3年生Yちゃんと共に、元気に、そしてしっかりと歩いていました。将来が楽しみですね。
志津林道から見た早朝の男体山
志津林道から見上げた女峰山
荒沢出合を渡る先頭メンバー
水場を過ぎた展望の良いところから見た男体山と大真名子山
山頂直下のガレ場に到着
うっすらと富士山が見えた
ガレ場を登るメンバー
ガレ場の最後は、かなりの急登となる。子どもたちもがんばって登る
さえずりの中に「ツイーツイーツイー」と入るのが特徴のビンズイ
山頂手前の女峰神社に到着
山頂から見た(右手前から)小真名子山、大真名子山、男体山、右奥の日光白根山
大雲海を見下ろす好天に恵まれ、大展望と仲間との交流を楽しんできました。今回、初登山の小学1年生K君は、お姉さんの小学3年生Yちゃんと共に、元気に、そしてしっかりと歩いていました。将来が楽しみですね。
志津林道から見た早朝の男体山
志津林道から見上げた女峰山
荒沢出合を渡る先頭メンバー
水場を過ぎた展望の良いところから見た男体山と大真名子山
山頂直下のガレ場に到着
うっすらと富士山が見えた
ガレ場を登るメンバー
ガレ場の最後は、かなりの急登となる。子どもたちもがんばって登る
さえずりの中に「ツイーツイーツイー」と入るのが特徴のビンズイ
山頂手前の女峰神社に到着
山頂から見た(右手前から)小真名子山、大真名子山、男体山、右奥の日光白根山
2011年07月22日
高山植物の宝庫
先週から今週初めの3連休は、山仲間アルプのリーダー養成で、北アルプスの不帰嶮に行ってきました。
唐松岳から不帰嶮を経て、白馬岳まで縦走するコースでしたが、技術的に少し厳しい不帰嶮を通過するのですが、それよりも、このコースの高山植物の多さに驚きました。
ここは、30年ほど前に逆コースで縦走(遠見尾根から下山)しているのですが、そのときは秋だったため、こんなに高山植物が多いことに気づきませんでした。(花に興味がまだなかったこともありますが)
右上の花は、タカネバラです。こんなにきれいにまとまって咲いているのは、はじめて見ました。
左の花は、ウルップソウです。この花は、白馬岳周辺と八ヶ岳(硫黄岳)にしか咲かない(北海道はホソバウルップソウ)のですが、今回は、見飽きるほどたくさん見ることができました。
他にもミヤマオダマキやシラネアオイ、オオサクラソウ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ、ミヤマシオガマなどなど、ものすごく多くのお花畑に出会いました。
山仲間アルプのサイトに、多くの写真を掲載していますので、ぜひご覧ください。
唐松岳から不帰嶮を経て、白馬岳まで縦走するコースでしたが、技術的に少し厳しい不帰嶮を通過するのですが、それよりも、このコースの高山植物の多さに驚きました。
ここは、30年ほど前に逆コースで縦走(遠見尾根から下山)しているのですが、そのときは秋だったため、こんなに高山植物が多いことに気づきませんでした。(花に興味がまだなかったこともありますが)
右上の花は、タカネバラです。こんなにきれいにまとまって咲いているのは、はじめて見ました。
左の花は、ウルップソウです。この花は、白馬岳周辺と八ヶ岳(硫黄岳)にしか咲かない(北海道はホソバウルップソウ)のですが、今回は、見飽きるほどたくさん見ることができました。
他にもミヤマオダマキやシラネアオイ、オオサクラソウ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ、ミヤマシオガマなどなど、ものすごく多くのお花畑に出会いました。
山仲間アルプのサイトに、多くの写真を掲載していますので、ぜひご覧ください。
2011年07月12日
緑のカエデ
先週の土曜日から日曜日にかけて、雲取山に行って来ました。
小学4年生の女の子と、小学6年生の男の子の2人が一緒に行ったのですが、2人とも、元気に2日目は三条の湯から雲取山に登り、七つ石山を経て、鴨沢に下山しました。次は、7月最後の週に、蝶ヶ岳を目指します。好天に恵まれて、子どもたちに最高の展望を楽しんでもらいたいなと思います。
写真は、雲取山への登りで撮ったカエデの木です。葉に光が逆光で当たり、背景が黒く沈んだことで、スポットライトが当たったように葉が浮き出てくれました。こういう光景に出会うと、カエデは紅葉だけでなく、緑の時もきれいですね。
小学4年生の女の子と、小学6年生の男の子の2人が一緒に行ったのですが、2人とも、元気に2日目は三条の湯から雲取山に登り、七つ石山を経て、鴨沢に下山しました。次は、7月最後の週に、蝶ヶ岳を目指します。好天に恵まれて、子どもたちに最高の展望を楽しんでもらいたいなと思います。
写真は、雲取山への登りで撮ったカエデの木です。葉に光が逆光で当たり、背景が黒く沈んだことで、スポットライトが当たったように葉が浮き出てくれました。こういう光景に出会うと、カエデは紅葉だけでなく、緑の時もきれいですね。
2011年07月06日
北岳の思い出
7月2日から3日にかけて、NPO法人山仲間アルプの山行で、北岳に行って来ました。視覚障害者は、全盲の人1名と、弱視の人4名でした。知的障害を持つ男性とサポーターも含め、総勢17名でしたが、危険箇所なども、みんなのサポート力のおかげで、無事に行って来ることができました。本当にみなさんの力に感謝です。
一番上の写真は、キタダケソウです。一時、大規模な盗掘にあい、絶滅の危機に瀕したのですが、山小屋の方や保護する方たちのおかげで、かなり復活してきたようです。北岳にしか咲かない貴重な高山植物ですので、いつまでもそこに咲いてくれるよう、すべての人が大切にしたいですね。
左の写真は、山頂にあるお地蔵さんです。小さなお地蔵さんで、とてもかわいいですね。ところで、もう一つの右にあるお地蔵さんも北岳山頂のものですが、こちらは1986年8月なので、今から25年前に北岳バットレス4尾根を登って山頂に着いたときに撮影したものです。お地蔵さんと下の台座の石は同じもののようですが、お地蔵さんの向きが少しずれているようですね。
人がぶつかって倒したか何かで、固定し直したのでしょうね。25年前は笠をかぶっていましたが、今はもうありませんでした。それに、後ろの木のベンチもありませんでした。確か、15年ほど前はあったはずなのですが。
左と右の写真は、どちらも25年前の山頂で撮ったものです。当時は、白黒写真の方が迫力があるので、カラーフィルムの他に白黒フィルムも持っていっていました。花はカラーの方がよいし、山などは白黒の方が迫力があって良いですよね。
もくもくわき上がる夏雲も白黒の方が迫力がありそうですし、右の雲海の上に出る御来光を待つ人たちの写真は、雑誌「山と渓谷」に掲載していただいたものです。
今回、運良くブロッケンを見ることができたのですが、左の写真は、2004年の唐松岳で撮影したものです。このときに撮したブロッケンが最も鮮明に写ったように思います。
北岳は、今回の登山を含めて9回登っていますが、山を始めて2年目の21歳の初冬、会社の山岳部に同期として入った27歳の男性を北岳で亡くしてしまいました。山頂直下の北岳山荘側の斜面で滑落し、猛烈な勢いで滑り落ちていくところを見ました。あれから32年たちますが、山を止めることなく、彼の分も少しは登ってきたのではないかと思います。
1年前の20歳の夏には、彼と2人だけで北岳から間ノ岳、西農鳥岳を経て塩見岳を越え、三伏峠まで2泊3日で縦走しました。彼が滑落した初冬の北岳も、塩見岳まで正月に縦走するための下見だったのです。
今回も、八本歯にある彼のレリーフを探すことができませんでした。いつか、1人か少人数で、時間を作ってレリーフを探しに行きたいと思います。
今回の北岳の山行報告と写真集は、山仲間アルプのサイトにありますので、新着情報からご覧ください。
一番上の写真は、キタダケソウです。一時、大規模な盗掘にあい、絶滅の危機に瀕したのですが、山小屋の方や保護する方たちのおかげで、かなり復活してきたようです。北岳にしか咲かない貴重な高山植物ですので、いつまでもそこに咲いてくれるよう、すべての人が大切にしたいですね。
左の写真は、山頂にあるお地蔵さんです。小さなお地蔵さんで、とてもかわいいですね。ところで、もう一つの右にあるお地蔵さんも北岳山頂のものですが、こちらは1986年8月なので、今から25年前に北岳バットレス4尾根を登って山頂に着いたときに撮影したものです。お地蔵さんと下の台座の石は同じもののようですが、お地蔵さんの向きが少しずれているようですね。
人がぶつかって倒したか何かで、固定し直したのでしょうね。25年前は笠をかぶっていましたが、今はもうありませんでした。それに、後ろの木のベンチもありませんでした。確か、15年ほど前はあったはずなのですが。
左と右の写真は、どちらも25年前の山頂で撮ったものです。当時は、白黒写真の方が迫力があるので、カラーフィルムの他に白黒フィルムも持っていっていました。花はカラーの方がよいし、山などは白黒の方が迫力があって良いですよね。
もくもくわき上がる夏雲も白黒の方が迫力がありそうですし、右の雲海の上に出る御来光を待つ人たちの写真は、雑誌「山と渓谷」に掲載していただいたものです。
今回、運良くブロッケンを見ることができたのですが、左の写真は、2004年の唐松岳で撮影したものです。このときに撮したブロッケンが最も鮮明に写ったように思います。
北岳は、今回の登山を含めて9回登っていますが、山を始めて2年目の21歳の初冬、会社の山岳部に同期として入った27歳の男性を北岳で亡くしてしまいました。山頂直下の北岳山荘側の斜面で滑落し、猛烈な勢いで滑り落ちていくところを見ました。あれから32年たちますが、山を止めることなく、彼の分も少しは登ってきたのではないかと思います。
1年前の20歳の夏には、彼と2人だけで北岳から間ノ岳、西農鳥岳を経て塩見岳を越え、三伏峠まで2泊3日で縦走しました。彼が滑落した初冬の北岳も、塩見岳まで正月に縦走するための下見だったのです。
今回も、八本歯にある彼のレリーフを探すことができませんでした。いつか、1人か少人数で、時間を作ってレリーフを探しに行きたいと思います。
今回の北岳の山行報告と写真集は、山仲間アルプのサイトにありますので、新着情報からご覧ください。
2011年07月05日
政治屋
震災の復興大臣に就任したばかりの松本氏が、早くも辞任になりましたね。
政治家は、どうしてこのようなおごった気持ちを持っているのでしょうか?
国民の本当に幸せのために、我が身を省みず、奉仕するのが政治家の役割のはずなのに、「助けてやらない」などという、あまりに幼稚な気持ちを持った人が、どうして政治家になり、大臣にまでなるのか?
日本の政治家は、3流にもなっていないかもしれないですね。
どんなに人のため、社会のためと思って行動しても、自分のできることなどたかがしれているので、どこまでも謙虚な気持ちで、人の意見を聞き、真剣に自らが取り組むことが大切なのにね。
政治家は、どうしてこのようなおごった気持ちを持っているのでしょうか?
国民の本当に幸せのために、我が身を省みず、奉仕するのが政治家の役割のはずなのに、「助けてやらない」などという、あまりに幼稚な気持ちを持った人が、どうして政治家になり、大臣にまでなるのか?
日本の政治家は、3流にもなっていないかもしれないですね。
どんなに人のため、社会のためと思って行動しても、自分のできることなどたかがしれているので、どこまでも謙虚な気持ちで、人の意見を聞き、真剣に自らが取り組むことが大切なのにね。
タグ :政治屋
2011年06月23日
好奇心
数年前、あるところで、学童保育のアルバイトをしていたのですが、そのとき、こんなエピソードがありました。
ある男の子が、自転車の空気入れの空気の吹き出る部分を砂場の砂の中に入れて、空気圧をかけ、空気と一緒に砂が吹き飛ぶのを楽しんでいました。
それに気づいた先生は、子どもに「何をしているんだ。そんなことをしたら空気入れが壊れてしまうだろう」と言い、子どもをしかりつけていました。
実は、そこには、私もいたのでした。私は、先生より先に、子どもたちが遊んでいるのを見つけ、「お、何かおもしろそうなことをしているな」と近寄っていき、様子を見ていたのでした。
砂が吹き飛んで、目に入ったりすると危険なので、それだけは注意しなければならないのですが、空気入れが壊れても、たいしたことではないと思っていました。
そんな姿勢で子どもたちと接していたので、わずか6ヶ月で首になったのかもしれませんね。まあ、正規の保育士の人が見つかったので、お払い箱になったのですが、他にもいろいろあり、そんなことも影響してかもしれません。
でもね、子どもたちは、失敗していろんなことを覚えるのだから、空気入れを壊してしまうことも、大切な勉強だと思うのですが・・・。隠そうとする自分と出会ったり、いい訳をする自分がいたり、頭を下げたり、すべてが勉強ですよね。
ある男の子が、自転車の空気入れの空気の吹き出る部分を砂場の砂の中に入れて、空気圧をかけ、空気と一緒に砂が吹き飛ぶのを楽しんでいました。
それに気づいた先生は、子どもに「何をしているんだ。そんなことをしたら空気入れが壊れてしまうだろう」と言い、子どもをしかりつけていました。
実は、そこには、私もいたのでした。私は、先生より先に、子どもたちが遊んでいるのを見つけ、「お、何かおもしろそうなことをしているな」と近寄っていき、様子を見ていたのでした。
砂が吹き飛んで、目に入ったりすると危険なので、それだけは注意しなければならないのですが、空気入れが壊れても、たいしたことではないと思っていました。
そんな姿勢で子どもたちと接していたので、わずか6ヶ月で首になったのかもしれませんね。まあ、正規の保育士の人が見つかったので、お払い箱になったのですが、他にもいろいろあり、そんなことも影響してかもしれません。
でもね、子どもたちは、失敗していろんなことを覚えるのだから、空気入れを壊してしまうことも、大切な勉強だと思うのですが・・・。隠そうとする自分と出会ったり、いい訳をする自分がいたり、頭を下げたり、すべてが勉強ですよね。
2011年06月22日
嫌われる心のケア
今日の読売新聞夕刊の2面にある見聞録に、「被災地心のケア」というタイトルで、「心のケアが避難所で拒否されている」と書かれていました。
これは、いろんな人が「心のケア」ですと称して、避難所に押し掛け、いろんな質問をすることにあるようです。被災者の人が辟易して、他の避難所に移りたいと言う人もいるそうです。
これは、「心のケアに来ました」と名乗り、ケアチームなどの名札を付けたりして、質問したりするからだと思います。そして「ケアをしてあげる」という気持ちが、心の片隅にあるので、それが見え隠れするからだと思います。苦しい思いをしている人にとって、ほんのわずかでも、そういう気持ちが見られれば、本当にうんざりしますし、そんな人に誰が話すものかと思いますよね。
被災した人が酒を飲む人であれば、片づけなどの作業をしたあとに、一緒に酒を飲み交わして、心を通わせることの方が大切ですし、そのときに、傾聴の心を持ってしっかりと話を聴くことが大切なんですね。
最初から、心のケアに来ましたという気持ちの人に、誰が腹を割って話をするでしょうか?
これは、子どもとの関わりでも同じことなんです。子どもたちも、しっかりと大人の様子を見て、どこまで話して良いか、好きなことをして良いかなどを判断しているんです。
子どもたちから、このおじさん、おもしろい人だな。この人なら何を言っても大丈夫だと思って、はじめて本当の自分を見せてくれるんですね。
以前、ある二人の子どもを比較している大人がいたのですが、1人の子は、しっかりとしているけど、もう1人はあまりにも子どもだというような判断でした。そして、しっかりしている子は良いけど、もう1人の子は問題だと言っていました。
私は、2人の子と関わっていましたが、別な視点からも2人を見られることを知っていました。2人とも、私を良くからかっていたのですが、しっかりしているといわれた子は、私の腕をつねったりしました。だけど、もう1人の子は、どんなにいたずらしても体に危害を加えるようなことはしませんでした。
そんなことがあったので、私はしっかりしていると評価されている子の方が心配でした。
大人は、いろんな視点から子どもを見つめることが大切ですね。
あ、最後は、話が脱線してしまったようです。
これは、いろんな人が「心のケア」ですと称して、避難所に押し掛け、いろんな質問をすることにあるようです。被災者の人が辟易して、他の避難所に移りたいと言う人もいるそうです。
これは、「心のケアに来ました」と名乗り、ケアチームなどの名札を付けたりして、質問したりするからだと思います。そして「ケアをしてあげる」という気持ちが、心の片隅にあるので、それが見え隠れするからだと思います。苦しい思いをしている人にとって、ほんのわずかでも、そういう気持ちが見られれば、本当にうんざりしますし、そんな人に誰が話すものかと思いますよね。
被災した人が酒を飲む人であれば、片づけなどの作業をしたあとに、一緒に酒を飲み交わして、心を通わせることの方が大切ですし、そのときに、傾聴の心を持ってしっかりと話を聴くことが大切なんですね。
最初から、心のケアに来ましたという気持ちの人に、誰が腹を割って話をするでしょうか?
これは、子どもとの関わりでも同じことなんです。子どもたちも、しっかりと大人の様子を見て、どこまで話して良いか、好きなことをして良いかなどを判断しているんです。
子どもたちから、このおじさん、おもしろい人だな。この人なら何を言っても大丈夫だと思って、はじめて本当の自分を見せてくれるんですね。
以前、ある二人の子どもを比較している大人がいたのですが、1人の子は、しっかりとしているけど、もう1人はあまりにも子どもだというような判断でした。そして、しっかりしている子は良いけど、もう1人の子は問題だと言っていました。
私は、2人の子と関わっていましたが、別な視点からも2人を見られることを知っていました。2人とも、私を良くからかっていたのですが、しっかりしているといわれた子は、私の腕をつねったりしました。だけど、もう1人の子は、どんなにいたずらしても体に危害を加えるようなことはしませんでした。
そんなことがあったので、私はしっかりしていると評価されている子の方が心配でした。
大人は、いろんな視点から子どもを見つめることが大切ですね。
あ、最後は、話が脱線してしまったようです。
2011年06月19日
心がすれ違う訳
昨日、大学生と少しですが、感謝の気持ちとは何かとか思いやりの気持ちとは何か、また幸せとは何かなどを話しました。
これらは、絶対的な答えなど見つかるものではありません。しかし、大切なのは、考え続けることだと思います。
相手の気持ちになって考えることは大切ですが、決して相手の気持ちを分かることはできません。大切なのは、相手の気持ちを考えることなんです。決して分かる訳などないのに、分かったと思ったらお終いです。
それと同じように、これが答えだと思ったらきっとそれは間違っている部分や足りないことだらけでしょうし、だからといって考えなかったら、成長できないし、人の役に立つこともできません。だから、大切なのは、考え続けることなんです。
大人は常識としていろんなことを知っています。例えば、「子どもたちに愛情を持って接することが大切だ」ということは、多くの大人が思っていることでしょう。そして、お互いにそう思っていて、意気投合します。しかし、いつか、「あの人は言っていることとやっていることが違う」というように、すれ違いが生じます。
すれ違う理由にもいろいろあると思いますが、すれ違うことは当たり前だと思うのは、「愛情」とは何かと考えたときに、それは100人いれば100通りの考え方があるはずなのに、そこの意見交換をしないで、常識の範囲に落ち着いてしまっていることにあります。
なぜ、最も大切な部分を考え合わないのかというと、やっぱり答えのないことを考えるなんて、めんどくさいからなんですね。でも、そこのところですれ違っていると、さまざまな誤解や問題が起きてきます。
以前、立教大学で話をさせていただいたときも、私は感謝の気持ちを持ちなさいなどとは一言も言わなかった。感謝の気持ちとは何か、今の私はこう考えているという言い方でした。たぶん、そのために、数人の学生から、「とても新鮮だった」とか「共感した」という感想をいただいたのだと思います。
また、こういう本質を考えるのは、きっと心の若さを保つのではないかとも思っています。
今回、話をした大学生は、真剣に聞いてくれました。また、分かれ際に「また話し合おうぜ」と言ったとき、「ぜひお願いします」と言ってくれました。これは、若い人だけの特権ではなくて、心の若い人だけの特権なのかもしれないですね。
常識と決めつけて考えようとしない大人ではなく、どこまでも深く考え続ける大人に、今の若い人たちにはなってほしいと思います。
これらは、絶対的な答えなど見つかるものではありません。しかし、大切なのは、考え続けることだと思います。
相手の気持ちになって考えることは大切ですが、決して相手の気持ちを分かることはできません。大切なのは、相手の気持ちを考えることなんです。決して分かる訳などないのに、分かったと思ったらお終いです。
それと同じように、これが答えだと思ったらきっとそれは間違っている部分や足りないことだらけでしょうし、だからといって考えなかったら、成長できないし、人の役に立つこともできません。だから、大切なのは、考え続けることなんです。
大人は常識としていろんなことを知っています。例えば、「子どもたちに愛情を持って接することが大切だ」ということは、多くの大人が思っていることでしょう。そして、お互いにそう思っていて、意気投合します。しかし、いつか、「あの人は言っていることとやっていることが違う」というように、すれ違いが生じます。
すれ違う理由にもいろいろあると思いますが、すれ違うことは当たり前だと思うのは、「愛情」とは何かと考えたときに、それは100人いれば100通りの考え方があるはずなのに、そこの意見交換をしないで、常識の範囲に落ち着いてしまっていることにあります。
なぜ、最も大切な部分を考え合わないのかというと、やっぱり答えのないことを考えるなんて、めんどくさいからなんですね。でも、そこのところですれ違っていると、さまざまな誤解や問題が起きてきます。
以前、立教大学で話をさせていただいたときも、私は感謝の気持ちを持ちなさいなどとは一言も言わなかった。感謝の気持ちとは何か、今の私はこう考えているという言い方でした。たぶん、そのために、数人の学生から、「とても新鮮だった」とか「共感した」という感想をいただいたのだと思います。
また、こういう本質を考えるのは、きっと心の若さを保つのではないかとも思っています。
今回、話をした大学生は、真剣に聞いてくれました。また、分かれ際に「また話し合おうぜ」と言ったとき、「ぜひお願いします」と言ってくれました。これは、若い人だけの特権ではなくて、心の若い人だけの特権なのかもしれないですね。
常識と決めつけて考えようとしない大人ではなく、どこまでも深く考え続ける大人に、今の若い人たちにはなってほしいと思います。
2011年06月16日
思春期を大切に
中学生前後の思春期は、子どもたちが大人へと成長していくために、最も大切な時期ですね。
この時期は、心理学者の河合隼雄先生は、幼虫から蝶に変わるためのさなぎの時期で、今までの自分をどろどろに溶かして生まれ変わる過程だというようなことを書かれています。
だから、思春期の時期は、非常に不安定です。それまでは、親の言うことを素直に聞いていたのに、親と言葉を交わすことも少なくなり、部屋に閉じこもったり、反抗したりします。
そのような状態ですので、子どもたちは、悪いこともします。いじめが最も多いのは、中学生の頃ではないでしょうか? 万引きや化粧をしたり、夜遊びをしたり、もっと大きな問題では、援助交際をしたり、リストカットをしたりということもあるかもしれません。
子どもが、このように悪いことをしたとき、親はどうしたらよいのでしょうか?
これは、あくまでも私自身の考え方ですが、決して頭に血が上って、しかりつけたりしないようにすることが大切だと思っています。そのためには、子どもが悪いことをするのを事前に想定して、心の準備をしておくことです。
ただ、親が悪いことだと思うことについては、はっきりと「悪いことだと思う」ということを伝えることは大切なことです。
それと共に、もう一つ大切なことは、子どもがどんなに悪いことをしても、子どもを愛する気持ち、信じる気持ちをしっかりと持って、「何があってもあなたを愛しているよ」とは言いにくいと思いますが、せめて、「あなたがどんなことをしようと、私(私たち)はあなたを信じているよ」と伝えることです。
子どもたちが悪いことをするのは、それなりにしっかりと理由があるのですが、子どもたちには、まだそれを説明できるだけの言葉や知恵を身につけていません。悪いことは、さまざまな心の葛藤の中から生まれてきているものです。子どもは苦しんでいるのです。その苦しんでいるときに、叱られたら、「親なんて信じられない」と思うのは、当たり前のことではないでしょうか?
子どもたちが悪いことをする理由の一つには、「親を確かめる」という一つの側面があります。正確に言うと、親の愛情を確かめるということです。自分そのものを愛してくれているのか、それとも、良いことをするその形だけを愛しているのか、それを確かめるということです。
良いことをしなくなった自分を、めった打ちするようにしかりつけられると、親は良いことだけを愛していて、本当の自分を愛してくれている訳ではないと感じます。「こんなに私は苦しんでいるのに、親は私の気持ちを受け止めてくれずに、型にはめようとばかりする」と感じ、子どもはどんどん心を閉ざしていくでしょうね。
「親を確かめるなんて不届きものだ」と感じる親御さんも多いかもしれません。でもそれは、親の立場でしか子どものことを考えていないように思います。
別な視点から見ると、子どもは、親を確かめるくらい成長してきたのではないでしょうか? その成長を子どもの気持ちになって考え、静かに「がんばれよ」と心の中で応援してあげてほしいなと思います。
この時期は、心理学者の河合隼雄先生は、幼虫から蝶に変わるためのさなぎの時期で、今までの自分をどろどろに溶かして生まれ変わる過程だというようなことを書かれています。
だから、思春期の時期は、非常に不安定です。それまでは、親の言うことを素直に聞いていたのに、親と言葉を交わすことも少なくなり、部屋に閉じこもったり、反抗したりします。
そのような状態ですので、子どもたちは、悪いこともします。いじめが最も多いのは、中学生の頃ではないでしょうか? 万引きや化粧をしたり、夜遊びをしたり、もっと大きな問題では、援助交際をしたり、リストカットをしたりということもあるかもしれません。
子どもが、このように悪いことをしたとき、親はどうしたらよいのでしょうか?
これは、あくまでも私自身の考え方ですが、決して頭に血が上って、しかりつけたりしないようにすることが大切だと思っています。そのためには、子どもが悪いことをするのを事前に想定して、心の準備をしておくことです。
ただ、親が悪いことだと思うことについては、はっきりと「悪いことだと思う」ということを伝えることは大切なことです。
それと共に、もう一つ大切なことは、子どもがどんなに悪いことをしても、子どもを愛する気持ち、信じる気持ちをしっかりと持って、「何があってもあなたを愛しているよ」とは言いにくいと思いますが、せめて、「あなたがどんなことをしようと、私(私たち)はあなたを信じているよ」と伝えることです。
子どもたちが悪いことをするのは、それなりにしっかりと理由があるのですが、子どもたちには、まだそれを説明できるだけの言葉や知恵を身につけていません。悪いことは、さまざまな心の葛藤の中から生まれてきているものです。子どもは苦しんでいるのです。その苦しんでいるときに、叱られたら、「親なんて信じられない」と思うのは、当たり前のことではないでしょうか?
子どもたちが悪いことをする理由の一つには、「親を確かめる」という一つの側面があります。正確に言うと、親の愛情を確かめるということです。自分そのものを愛してくれているのか、それとも、良いことをするその形だけを愛しているのか、それを確かめるということです。
良いことをしなくなった自分を、めった打ちするようにしかりつけられると、親は良いことだけを愛していて、本当の自分を愛してくれている訳ではないと感じます。「こんなに私は苦しんでいるのに、親は私の気持ちを受け止めてくれずに、型にはめようとばかりする」と感じ、子どもはどんどん心を閉ざしていくでしょうね。
「親を確かめるなんて不届きものだ」と感じる親御さんも多いかもしれません。でもそれは、親の立場でしか子どものことを考えていないように思います。
別な視点から見ると、子どもは、親を確かめるくらい成長してきたのではないでしょうか? その成長を子どもの気持ちになって考え、静かに「がんばれよ」と心の中で応援してあげてほしいなと思います。
2011年06月01日
自然は最高の芸術家
しばらく忙しくて休んでいました。
まだ、やらなければならないこともあるのですが、ちょっと一休みで、ブログを書く気になりました。
今回の写真は、4月10日に行った百蔵山で撮ったものです。写真にすると、これだけのものでしかないのですが、自然はどうしてこんなにすばらしい芸術を作り出すのか。そして、それを惜しげもなく一瞬にして消し去るのか。
自然のすばらしさから学ぶことは山のようにありますね。だから、山に行きたいですね。
まだ、やらなければならないこともあるのですが、ちょっと一休みで、ブログを書く気になりました。
今回の写真は、4月10日に行った百蔵山で撮ったものです。写真にすると、これだけのものでしかないのですが、自然はどうしてこんなにすばらしい芸術を作り出すのか。そして、それを惜しげもなく一瞬にして消し去るのか。
自然のすばらしさから学ぶことは山のようにありますね。だから、山に行きたいですね。
2011年05月03日
穂高の積雪比較
4月29日から5月1日にかけて、北アルプスの涸沢に行って来ました。
これまでに5回ほど涸沢には行っていますが、今回は最も積雪が多かったと感じました。涸沢ヒュッテのオーナーも、例年になく非常に積雪が多く、小屋開けの4月15日から、さらに積雪が増えたのははじめての経験だとおっしゃっていました。白馬岳で雪崩事故がありましたが、この積雪では、いつ雪崩が起きても不思議ではないと感じました。
涸沢には、2005年5月3日から5日にかけて行っていますが、そのときの写真と比較してみたいと思います。
今回、上高地から見た奥穂高岳です。真っ白で、真冬の感じです。
2005年の奥穂高です。ところどころ岩肌が出て、春の装いでした。
今年の屏風岩です。まだ残雪がかなり残っています。
2005年の屏風岩です。雪がほとんどなくなり、春の装いです。
今年の涸沢から見た奥穂高岳です。雪がべったり付いています。また、白出のコルの下の小豆沢下部には、大きなデブリがあり、人の歩いたトレースは右側に付いています。
2005年の奥穂高岳です。岩肌がかなり露出し、小豆沢にはほとんどデブリが無く、トレースは小豆沢下部から直接コルに向かって伸びています。
今回の前穂北尾根です。雪が多く、岩肌にも雪が付着しています。
2005年の前穂北尾根です。残雪が少なく、岩肌には雪の付着もほとんど無く、まさに春山の状態です。
最後は、今回のコルから奥穂への登り口です。岩肌に雪が付着し、完全に冬の装いです。
2005年の奥穂への登り口で撮った写真です。はしごもよく分かり、急な岩場は、夏とほとんど変わりません。
いかがでしたでしょうか? 今年の残雪の多さが分かったでしょうか?
今年は、降雪自体が多かったことと、3月が寒くて雪が溶けなかったことが影響しているのではないかと思います。
これまでに5回ほど涸沢には行っていますが、今回は最も積雪が多かったと感じました。涸沢ヒュッテのオーナーも、例年になく非常に積雪が多く、小屋開けの4月15日から、さらに積雪が増えたのははじめての経験だとおっしゃっていました。白馬岳で雪崩事故がありましたが、この積雪では、いつ雪崩が起きても不思議ではないと感じました。
涸沢には、2005年5月3日から5日にかけて行っていますが、そのときの写真と比較してみたいと思います。
今回、上高地から見た奥穂高岳です。真っ白で、真冬の感じです。
2005年の奥穂高です。ところどころ岩肌が出て、春の装いでした。
今年の屏風岩です。まだ残雪がかなり残っています。
2005年の屏風岩です。雪がほとんどなくなり、春の装いです。
今年の涸沢から見た奥穂高岳です。雪がべったり付いています。また、白出のコルの下の小豆沢下部には、大きなデブリがあり、人の歩いたトレースは右側に付いています。
2005年の奥穂高岳です。岩肌がかなり露出し、小豆沢にはほとんどデブリが無く、トレースは小豆沢下部から直接コルに向かって伸びています。
今回の前穂北尾根です。雪が多く、岩肌にも雪が付着しています。
2005年の前穂北尾根です。残雪が少なく、岩肌には雪の付着もほとんど無く、まさに春山の状態です。
最後は、今回のコルから奥穂への登り口です。岩肌に雪が付着し、完全に冬の装いです。
2005年の奥穂への登り口で撮った写真です。はしごもよく分かり、急な岩場は、夏とほとんど変わりません。
いかがでしたでしょうか? 今年の残雪の多さが分かったでしょうか?
今年は、降雪自体が多かったことと、3月が寒くて雪が溶けなかったことが影響しているのではないかと思います。
2011年04月21日
あまりにも残念な避難者差別
数日前から、福島県から避難してきた方々を避けたり、放射線を測定した証明書がなければ受け入れないなどの残念な話を聞いていたのですが、今日の読売新聞の夕刊では、そのような差別が相次いでいると報道されていました。
福島のみなさんが、避難しなければならなくなったのは、原子力発電所があったからです。
原子力発電所を作らなければならなかった理由は、電気の消費量が大幅に増えてきたからです。
電気を消費しているのは、日本中のすべての人たちですし、その中でも、都会に住む人は、地方の人よりも遙かに便利な生活を送っています。それは、多くの電気があったことも大きな理由の一つです。
このことを考えれば、私たちが便利な生活をし、遠くへ移動したりして楽しめるのは、地方にいて、原子力発電所を受け入れてくださった方々のおかげであることは、当たり前のこととして分かります。
福島の方々は、感謝の気持ちを持って受け入れるのが当たり前のことです。もし、被爆してしまったら、他人事ではなく、自分のこととして心配し、孤独にならないように、少しでも力になることが発電所から離れたところに住む私たちの責務です。
海外の方から、今回の被災にあった東北地方の方々の行いを高く評価していただきましたが、このような差別は、評価も著しく下げることでしょう。
人の気持ちになって考えることのできる日本人の1人として、このような差別が根絶することを心から願っています。
福島のみなさんが、避難しなければならなくなったのは、原子力発電所があったからです。
原子力発電所を作らなければならなかった理由は、電気の消費量が大幅に増えてきたからです。
電気を消費しているのは、日本中のすべての人たちですし、その中でも、都会に住む人は、地方の人よりも遙かに便利な生活を送っています。それは、多くの電気があったことも大きな理由の一つです。
このことを考えれば、私たちが便利な生活をし、遠くへ移動したりして楽しめるのは、地方にいて、原子力発電所を受け入れてくださった方々のおかげであることは、当たり前のこととして分かります。
福島の方々は、感謝の気持ちを持って受け入れるのが当たり前のことです。もし、被爆してしまったら、他人事ではなく、自分のこととして心配し、孤独にならないように、少しでも力になることが発電所から離れたところに住む私たちの責務です。
海外の方から、今回の被災にあった東北地方の方々の行いを高く評価していただきましたが、このような差別は、評価も著しく下げることでしょう。
人の気持ちになって考えることのできる日本人の1人として、このような差別が根絶することを心から願っています。
2011年04月08日
心のケア
今読んでいる河合隼雄さんの「いじめと不登校」という本は、阪神淡路大震災のあとに、出版されたもので、大震災のあとに、心のケアを行った話が書いてあります。
とは言っても、河合さんが行ったことではなくて、言った方の話を基に書いているのですが、心のケアを行おうと思って、避難所に行った人が、心配事がないかとか、震災の体験などを話してくださいと被災された方に言ったら、聞かれた方は腹が立って、怒ったそうです。当然のことなのですが、「怒られてしまった」といって、帰ってくるような人は、最初から行かない方が良いと書かれています。これは、講演の内容を本にしたものなので、結構、おもしろおかしく話しているようですが、確かにその通りなのですね。
河合さんは、怒られてから心のケアが始まるとおっしゃっています。
避難をしている方たちは、悲しい気持ちや怒りたい気持ち、絶望の気持ち、自分の気持ちを抑えなければと言う気持ち、他の人たちのことを思いやる気持ち、思いやらなければいけないと言う気持ちなどなど、さまざまな感情、時には相反する感情が、自分の中で渦巻いているはずです。
そんなところに、のこのこ、被害に遭っていない人が行ったら、「何をしに来たー」と怒りたくなりますね。心のケアをしてあげたいと思うならば、その怒りの気持ちをそのまま受け止めなければならないのですね。怒られることはつらいです。でも、被災された方たちは、その何倍もつらいですよね。怒りをぶちまけることで、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなるかもしれません。
「自分はよいことをしたのに、なぜ怒られなければならないんだ」と思うようでは、心のケアなんて、とんでもないと言うことですね。
ここに来て、急にすっかり春になってきました。写真は、昨日撮った見事なしだれ桜の写真です。
とは言っても、河合さんが行ったことではなくて、言った方の話を基に書いているのですが、心のケアを行おうと思って、避難所に行った人が、心配事がないかとか、震災の体験などを話してくださいと被災された方に言ったら、聞かれた方は腹が立って、怒ったそうです。当然のことなのですが、「怒られてしまった」といって、帰ってくるような人は、最初から行かない方が良いと書かれています。これは、講演の内容を本にしたものなので、結構、おもしろおかしく話しているようですが、確かにその通りなのですね。
河合さんは、怒られてから心のケアが始まるとおっしゃっています。
避難をしている方たちは、悲しい気持ちや怒りたい気持ち、絶望の気持ち、自分の気持ちを抑えなければと言う気持ち、他の人たちのことを思いやる気持ち、思いやらなければいけないと言う気持ちなどなど、さまざまな感情、時には相反する感情が、自分の中で渦巻いているはずです。
そんなところに、のこのこ、被害に遭っていない人が行ったら、「何をしに来たー」と怒りたくなりますね。心のケアをしてあげたいと思うならば、その怒りの気持ちをそのまま受け止めなければならないのですね。怒られることはつらいです。でも、被災された方たちは、その何倍もつらいですよね。怒りをぶちまけることで、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなるかもしれません。
「自分はよいことをしたのに、なぜ怒られなければならないんだ」と思うようでは、心のケアなんて、とんでもないと言うことですね。
ここに来て、急にすっかり春になってきました。写真は、昨日撮った見事なしだれ桜の写真です。
2011年04月06日
いじめと不登校
ようやく昨日くらいから八千代市でも桜が咲き始めましたね。写真は、今日、八千代台の公園で撮影したものです。
今、図書館にあった河合隼雄さんの書かれた「いじめと不登校」という単行本を読んでいます。
河合さんの書かれる(講演で話した内容ですが)内容は、「うんうん、その通りだ」と思ったり、「なるほど、確かにそうだな」と思うことがたくさんあるので、読んでいても、そのまま頭に入ってきます。
一つの事例ですが、学校に「髪を何センチ以下にしなければならない」とか、「染めたりしてはいけない」というような決まりのあるところは多いのではないでしょうか?
ある学校で、その規則をやめたのだそうです。そしたら何か変わったことがないか、先生に聞いたら、先生が「子どもの顔を見るようになった」と言ったそうです。
規則があると、髪が伸びていないかとか、染めていないかなどにばかり気持ちが向かっていて、生徒の顔に気持ちが行っていなかったのです。髪が規定よりも伸びていたら、切るように注意したり、茶髪だと、それだけで不良扱いしたり、決まりを守らないだめな人間と見てしまいます。
しかし、決まりを取り払ったおかげで、そんな細かいところを見なくても良くなり、子どもの表情をしっかりと見るようになったそうです。「今日は浮かない顔をしているな」とか、「とてもうれしそうな顔をしているな」というように、子どもたちの顔を見ることによって、子どもたちの気持ちを感じれるようになります。
私は、以前から法律や規則は、少なければ少ない程良いと思ってきました。なぜなら、何か過ちを犯したときに、「法律がこうだからこうだ」という考え方しかしなくなることが恐ろしいと感じていたからです。
大切なのは、その人がどんな気持ちで、それをしたのかだと思うのですが、法律を決めると、有無を言わせず、決めつけられてしまいます。
以前、テレビの討論番組で、いじめは犯罪だから、法律で取り締まればよいと言う政治家がいました。子どもの時に、おもしろ半分などでいじめをしてしまったために、犯罪者としてのレッテルを貼られたら、もうその子は、立ち直る機会を社会から奪われてしまいます。そして、裏街道へと進んでしまうでしょう。
大切なのは、いじめをする子どもの気持ちをよく考えて、いじめなんてしたくないと思えるように、その子の心を育ててあげることなんですよね。
今回の本は、まだ読んでいる途中なのですが、「子どものために何かしない愛情」も、すばらしい考え方だなと思っています。教育といいますが、先生は「教師」で、教える師ですが、河合さんは、「育師」だと言っています。私も、「教師」より、今必要なのは「育師」だと思います。教えることよりも、育てること、子どもたちが育つことをサポートすることが大切なんですね。
教えることが、育つ機会を奪うこともあります。「子どものために何かをしてあげる」ことが、子どもの育つ機会を奪うことも多々あります。
過去の教育と子育てとは違う、今の時代にあったものを見つける必要がありますね。
最後になりましたが、昨日は、八千代市のふれあいプラザに、夕食の後かたづけボランティアに行ってきました。
今、図書館にあった河合隼雄さんの書かれた「いじめと不登校」という単行本を読んでいます。
河合さんの書かれる(講演で話した内容ですが)内容は、「うんうん、その通りだ」と思ったり、「なるほど、確かにそうだな」と思うことがたくさんあるので、読んでいても、そのまま頭に入ってきます。
一つの事例ですが、学校に「髪を何センチ以下にしなければならない」とか、「染めたりしてはいけない」というような決まりのあるところは多いのではないでしょうか?
ある学校で、その規則をやめたのだそうです。そしたら何か変わったことがないか、先生に聞いたら、先生が「子どもの顔を見るようになった」と言ったそうです。
規則があると、髪が伸びていないかとか、染めていないかなどにばかり気持ちが向かっていて、生徒の顔に気持ちが行っていなかったのです。髪が規定よりも伸びていたら、切るように注意したり、茶髪だと、それだけで不良扱いしたり、決まりを守らないだめな人間と見てしまいます。
しかし、決まりを取り払ったおかげで、そんな細かいところを見なくても良くなり、子どもの表情をしっかりと見るようになったそうです。「今日は浮かない顔をしているな」とか、「とてもうれしそうな顔をしているな」というように、子どもたちの顔を見ることによって、子どもたちの気持ちを感じれるようになります。
私は、以前から法律や規則は、少なければ少ない程良いと思ってきました。なぜなら、何か過ちを犯したときに、「法律がこうだからこうだ」という考え方しかしなくなることが恐ろしいと感じていたからです。
大切なのは、その人がどんな気持ちで、それをしたのかだと思うのですが、法律を決めると、有無を言わせず、決めつけられてしまいます。
以前、テレビの討論番組で、いじめは犯罪だから、法律で取り締まればよいと言う政治家がいました。子どもの時に、おもしろ半分などでいじめをしてしまったために、犯罪者としてのレッテルを貼られたら、もうその子は、立ち直る機会を社会から奪われてしまいます。そして、裏街道へと進んでしまうでしょう。
大切なのは、いじめをする子どもの気持ちをよく考えて、いじめなんてしたくないと思えるように、その子の心を育ててあげることなんですよね。
今回の本は、まだ読んでいる途中なのですが、「子どものために何かしない愛情」も、すばらしい考え方だなと思っています。教育といいますが、先生は「教師」で、教える師ですが、河合さんは、「育師」だと言っています。私も、「教師」より、今必要なのは「育師」だと思います。教えることよりも、育てること、子どもたちが育つことをサポートすることが大切なんですね。
教えることが、育つ機会を奪うこともあります。「子どものために何かをしてあげる」ことが、子どもの育つ機会を奪うことも多々あります。
過去の教育と子育てとは違う、今の時代にあったものを見つける必要がありますね。
最後になりましたが、昨日は、八千代市のふれあいプラザに、夕食の後かたづけボランティアに行ってきました。
2011年03月29日
介護福祉士合格!
3月6日に、介護福祉士の実技試験を受け、今日、試験センターのホームページを見たら、私の受験番号がありました。
何とか、合格できたようです。
昨年の実技で落ちて、今年筆記から再挑戦でしたが、これで、介護福祉士の試験勉強はしなくて良くなりそうです。
ただ、介護に関する勉強は、これからもし続けていかないといけませんね。
何とか、合格できたようです。
昨年の実技で落ちて、今年筆記から再挑戦でしたが、これで、介護福祉士の試験勉強はしなくて良くなりそうです。
ただ、介護に関する勉強は、これからもし続けていかないといけませんね。
2011年03月20日
なかなかできないボランティア
震災で被害を受けたところにボランティアに行きたいと思っているのですが、なかなか実現しません。
東北地方は、先週まではボランティアを受け付けていませんでしたし、行くには車など、足を確保する必要があります。でも、私の弱点は、車を持っていないことですね。ただ、どちらにしても、東北まで無理して行っても、土日ではほとんど活動できませんし、1週間などまとまっていくためには、仕事を変わってもらわなければなりません。
なので、千葉県内の旭市などに行こうと思って、八千代市のボランティアセンターに登録したり、いろんな人に声をかけているのですが、19日は、こちらの都合が付かず、明日も声をかけていただき、その方の車で一緒に行く予定にしていたのですが、雨の時は中止になるということで、明日は中止になってしまいました。
今日、ジョイフル本田で、つま先に鉄板の保護がある安全長靴(会社の工場にいたときははんちょうかと言っていましたが)と皮手袋を買ったのですが、次に備えたいと思います。しかし、安全長靴は高いのですね。会社にいたときは、会社からの補助があって安かったのでしょうね。
とにかく、あとは、八千代市のボランティアセンターからの連絡を待って、できれば来週にでも行きたいと思います。
自分で言うのも何ですが、力仕事も介護も、心のケアもある程度できる人は、あまりいないと思うので、活動の場は広いと思っています。
ということで、明日は不登校訪問専門員の勉強をしたいと思います。
東北地方は、先週まではボランティアを受け付けていませんでしたし、行くには車など、足を確保する必要があります。でも、私の弱点は、車を持っていないことですね。ただ、どちらにしても、東北まで無理して行っても、土日ではほとんど活動できませんし、1週間などまとまっていくためには、仕事を変わってもらわなければなりません。
なので、千葉県内の旭市などに行こうと思って、八千代市のボランティアセンターに登録したり、いろんな人に声をかけているのですが、19日は、こちらの都合が付かず、明日も声をかけていただき、その方の車で一緒に行く予定にしていたのですが、雨の時は中止になるということで、明日は中止になってしまいました。
今日、ジョイフル本田で、つま先に鉄板の保護がある安全長靴(会社の工場にいたときははんちょうかと言っていましたが)と皮手袋を買ったのですが、次に備えたいと思います。しかし、安全長靴は高いのですね。会社にいたときは、会社からの補助があって安かったのでしょうね。
とにかく、あとは、八千代市のボランティアセンターからの連絡を待って、できれば来週にでも行きたいと思います。
自分で言うのも何ですが、力仕事も介護も、心のケアもある程度できる人は、あまりいないと思うので、活動の場は広いと思っています。
ということで、明日は不登校訪問専門員の勉強をしたいと思います。
2011年03月12日
地震への募金
千葉県の八千代市でも震度5強で、大きな地震でしたが、東北地方は、想像を絶する大災害となってしまいました。
多くの家屋が津波で流され、亡くなった方や行方不明の方も、まだ少ししか把握できていない状況で、これからさらに増えるかもしれませんが、被災されたみなさまに、心からお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々には、心よりお悔やみ申し上げます。
まだ少し早いかもしれませんが、日本財団のコミュニティサイトCANPANでは、今回の地震への応援募金を集めています。
できる範囲で良いと思いますが、できるだけ多くの方のご支援をお願いいたします。募金のページはこちらです>>
多くの家屋が津波で流され、亡くなった方や行方不明の方も、まだ少ししか把握できていない状況で、これからさらに増えるかもしれませんが、被災されたみなさまに、心からお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々には、心よりお悔やみ申し上げます。
まだ少し早いかもしれませんが、日本財団のコミュニティサイトCANPANでは、今回の地震への応援募金を集めています。
できる範囲で良いと思いますが、できるだけ多くの方のご支援をお願いいたします。募金のページはこちらです>>
2011年03月07日
介護福祉士実技試験
昨日は、介護福祉士の実技試験でした。
今年は、比較的簡単で、いすに座っている人に杖で近くのテーブルに移動してもらい、そこでいすに座って趣味の活動をはじめる準備の介助をするという問題でした。
いすからの立ち上がり方や杖、患側の足、健側の足の順番で歩くことや、そのとき、患側に立って少し後ろを介助しながら歩くこと、趣味の活動は、どちらにしますかと聞くことなど、できていたと思うのですが、比較的簡単だと採点が厳しいかもしれませんね。
あとは、今月末の結果通知を待つだけです。今度こそ、受かっていると良いのですが・・・。
今年は、比較的簡単で、いすに座っている人に杖で近くのテーブルに移動してもらい、そこでいすに座って趣味の活動をはじめる準備の介助をするという問題でした。
いすからの立ち上がり方や杖、患側の足、健側の足の順番で歩くことや、そのとき、患側に立って少し後ろを介助しながら歩くこと、趣味の活動は、どちらにしますかと聞くことなど、できていたと思うのですが、比較的簡単だと採点が厳しいかもしれませんね。
あとは、今月末の結果通知を待つだけです。今度こそ、受かっていると良いのですが・・・。
2011年02月19日
詩画集
以前、山仲間アルプや六つ星山の会で一緒に山に登った知人の塚本清美さんが、詩画集『希求―明日が良い日でありますように―』を出版しました。
絵を習い始めて間もないのに、とてもすばらしい絵を描かれています。また、コメントのように書かれた詩もすばらしいです。絵に興味をお持ちの方は、ぜひご覧ください。アマゾンでも購入できますよ!
絵を習い始めて間もないのに、とてもすばらしい絵を描かれています。また、コメントのように書かれた詩もすばらしいです。絵に興味をお持ちの方は、ぜひご覧ください。アマゾンでも購入できますよ!