2012年03月17日
代表者とサービス提供責任者
先週の土曜から今週の月曜日にかけて、NPO法人山仲間アルプの活動で、鈴鹿山脈に行って来ました。
1日目は藤内小屋の泊まり、2日目は御在所岳の山頂に登り、さらに鎌ヶ岳に登って、四日市に泊まりました。3日目は雪になりましたが、藤原岳の9合目過ぎまで登って引き返しました。
1日目は、夜行バスで早朝に着いたので、山に行くことのできない名古屋登稜会の仲間と会いました。そして、湯ノ山温泉から藤内小屋まで、2人の名古屋登稜会の仲間が参加してくれて、一緒に歩き、藤内小屋でいろんな話ができて、とても良かったです。26年ぶりですが、昔とそれほど変わっていなくて、みんなあのころにそのまま返ったようだと言っていました。こんな機会を許してもらった、山仲間アルプのメンバーに感謝です。
写真は、御在所岳の山頂付近から見た釈迦が岳方面の写真です。とにかく、樹氷がきれいで、この世のものと思えないほどでした。山仲間アルプのサイトには、もっと写真がありますので、ぜひご覧ください。
話は変わりますが、今日は、介護の仕事で働いているNPOでの理事会と定例会でした。
定例会では、今年度1年間を振り返って感じたことなどを話すことになりましたが、私自身は、サービス提供責任者となってちょうど1年が過ぎたばかりですので、多くの先輩のみなさんからお世話になって、少しずつ覚えることができて、ただただ、感謝の気持ちでいっぱいでした。
ただ、もう一つ話したのは、代表者の苦労をよく考えて、みんなで力を合わせて進んでいきましょうということです。
私自身、NPO法人山仲間アルプの代表者を務めていますが、介護の仕事と苦労を比較することなどできないくらい、代表者の方が大変なことです。
時間的には、やや山仲間アルプの仕事が多いかなと言うくらいなのですが、苦労は比較などできないですね。代表者としての苦労を考えると、サービス提供責任者の苦労は苦労のうちに入りません。
ちょっと本音を出して怒れば、相手は去っていく。理不尽なことだと思っても、「団体のことを思って言っているんだ」という意識がある人には、何でこんなことを言われなければならないのだと思いながらも「ありがとうございます」と言わなければならない。このまま継続していけるんだろうかという経営の苦しみも当たり前にあります。すべてを上げることなどできないので止めますが、その苦労は、とてもよく分かるので、介護の仕事の代表者の方の苦労も、身にしみて分かるつもりです。だから、自分にできる協力は可能な限りやらせていただきたいですね。
今、少し余裕ができたので、ブログに投稿することができました。
1日目は藤内小屋の泊まり、2日目は御在所岳の山頂に登り、さらに鎌ヶ岳に登って、四日市に泊まりました。3日目は雪になりましたが、藤原岳の9合目過ぎまで登って引き返しました。
1日目は、夜行バスで早朝に着いたので、山に行くことのできない名古屋登稜会の仲間と会いました。そして、湯ノ山温泉から藤内小屋まで、2人の名古屋登稜会の仲間が参加してくれて、一緒に歩き、藤内小屋でいろんな話ができて、とても良かったです。26年ぶりですが、昔とそれほど変わっていなくて、みんなあのころにそのまま返ったようだと言っていました。こんな機会を許してもらった、山仲間アルプのメンバーに感謝です。
写真は、御在所岳の山頂付近から見た釈迦が岳方面の写真です。とにかく、樹氷がきれいで、この世のものと思えないほどでした。山仲間アルプのサイトには、もっと写真がありますので、ぜひご覧ください。
話は変わりますが、今日は、介護の仕事で働いているNPOでの理事会と定例会でした。
定例会では、今年度1年間を振り返って感じたことなどを話すことになりましたが、私自身は、サービス提供責任者となってちょうど1年が過ぎたばかりですので、多くの先輩のみなさんからお世話になって、少しずつ覚えることができて、ただただ、感謝の気持ちでいっぱいでした。
ただ、もう一つ話したのは、代表者の苦労をよく考えて、みんなで力を合わせて進んでいきましょうということです。
私自身、NPO法人山仲間アルプの代表者を務めていますが、介護の仕事と苦労を比較することなどできないくらい、代表者の方が大変なことです。
時間的には、やや山仲間アルプの仕事が多いかなと言うくらいなのですが、苦労は比較などできないですね。代表者としての苦労を考えると、サービス提供責任者の苦労は苦労のうちに入りません。
ちょっと本音を出して怒れば、相手は去っていく。理不尽なことだと思っても、「団体のことを思って言っているんだ」という意識がある人には、何でこんなことを言われなければならないのだと思いながらも「ありがとうございます」と言わなければならない。このまま継続していけるんだろうかという経営の苦しみも当たり前にあります。すべてを上げることなどできないので止めますが、その苦労は、とてもよく分かるので、介護の仕事の代表者の方の苦労も、身にしみて分かるつもりです。だから、自分にできる協力は可能な限りやらせていただきたいですね。
今、少し余裕ができたので、ブログに投稿することができました。
2012年03月08日
すばらしいお母さん
ある脳性麻痺の男性との会話で出た話ですが、彼は、お母さんから「人に主張する前に、自分が悪かったとまず思いなさい」と教えられているとのことでした。
私は、「それは大事なことだよね。ただ、主張してはいけないということではなくて、主張するときには、まず相手の気持ちを考えることが大切なんだよね」と言ったら、彼は「お母さんもそう言っていました」と言っていました。
私は、「それでも気持ちを抑えられないときは、切れたって良いんだよ」と言いました。
ある人が、「彼はとても明るくて良い人だな」と言っていたのですが、やはりお母さんの考え方のすばらしさにその理由がありますね。
我が子が障害を持っていると、障害を持つ人と接した経験がないために、はれ物にさわるかのように、遠慮したり、腰が引けたりして、何でもわがままにして良いと教えることが多いようですが、そうして育った子どもは、社会から嫌われることの多い大人になってしまいます。
このお母さんは、障害を持つ我が子を、障害者としてではなく、ひとりの人間として育てたのですね。
このお母さんのように、しっかりと自分の考え方、生き方を持ち、それを基に、子どもの育て方を考えることが大切なことですね。
河合隼雄さんの本を読んでいたら、ある心理療法家から聞いた話として、家庭内暴力をふるう男性とその両親のことが書かれていました。
両親は、その子どものために、いろんなものを与えたり、その子のためと思うことを十分にやってきたのに、子どもはいったい何に不満があるのかと言っていたそうです。
子どもは、ある時、「この家には宗教がない」と言ったそうです。
これは、形の上での宗教ではなく、親がしっかりとした信念を持っていないことが不満なんだということなんですね。
自分の考えをしっかりと持っていなくて、何かをしてあげれば人は喜ぶと思ったり、ただ常識を当てはめたりする生き方に、その男性は憤りのないいらだちを感じたのだと思います。
人はおもしろいですね。なかなか自分をしっかりと見つめられないものです。だから、永遠の課題として、人生とは何かというような命題があるのですね。
右の写真は、少し前ですが、2月に行った西穂山荘への登山道で撮った樹氷の写真です。自由に枝を伸ばし、何も求めず生きています。人の生き方のお手本のような存在ですね。
私は、「それは大事なことだよね。ただ、主張してはいけないということではなくて、主張するときには、まず相手の気持ちを考えることが大切なんだよね」と言ったら、彼は「お母さんもそう言っていました」と言っていました。
私は、「それでも気持ちを抑えられないときは、切れたって良いんだよ」と言いました。
ある人が、「彼はとても明るくて良い人だな」と言っていたのですが、やはりお母さんの考え方のすばらしさにその理由がありますね。
我が子が障害を持っていると、障害を持つ人と接した経験がないために、はれ物にさわるかのように、遠慮したり、腰が引けたりして、何でもわがままにして良いと教えることが多いようですが、そうして育った子どもは、社会から嫌われることの多い大人になってしまいます。
このお母さんは、障害を持つ我が子を、障害者としてではなく、ひとりの人間として育てたのですね。
このお母さんのように、しっかりと自分の考え方、生き方を持ち、それを基に、子どもの育て方を考えることが大切なことですね。
河合隼雄さんの本を読んでいたら、ある心理療法家から聞いた話として、家庭内暴力をふるう男性とその両親のことが書かれていました。
両親は、その子どものために、いろんなものを与えたり、その子のためと思うことを十分にやってきたのに、子どもはいったい何に不満があるのかと言っていたそうです。
子どもは、ある時、「この家には宗教がない」と言ったそうです。
これは、形の上での宗教ではなく、親がしっかりとした信念を持っていないことが不満なんだということなんですね。
自分の考えをしっかりと持っていなくて、何かをしてあげれば人は喜ぶと思ったり、ただ常識を当てはめたりする生き方に、その男性は憤りのないいらだちを感じたのだと思います。
人はおもしろいですね。なかなか自分をしっかりと見つめられないものです。だから、永遠の課題として、人生とは何かというような命題があるのですね。
右の写真は、少し前ですが、2月に行った西穂山荘への登山道で撮った樹氷の写真です。自由に枝を伸ばし、何も求めず生きています。人の生き方のお手本のような存在ですね。
2012年01月11日
心の裏側を見つめられない時代になったのか?
今週の月曜日に、「不登校・ひきこもり支援シンポジウム」を聞きに行ってきました。
社交不安障害と認知行動療法に関する講演を聞いたあと、NPOなどで活動している団体の方が活動の紹介などを行ったのですが、その中で、興味深かったのは、就労支援をしている団体の話です。
いろんな活動のことを話されたのですが、高齢の人と若い人のものごとのとらえ方の違いを、ホームレスの違いで話しました。それは、ホームレスの人たちが売る冊子の販売数に対する考え方の違いです。1日に50部売ることはなかなか難しいのですが、それを達成したとき、高齢のホームレスは、「今日はたくさん売れて良かった」と思うのだそうです。しかし、若いホームレスは、「今日は売れたけど、昨日は5部しか売れなかった」と落ち込むのだそうです。
この違いの原因をみなさんはどう思われますか?
若いホームレスは、子どもの頃から親に、否定的な育てられ方をしたのが一番大きな原因だと思います。「こうでなければいけない」「そんなことではだめだ」という育てられ方をすると、マイナスのことばかりに心が行ってしまいますから、肯定的に物事を捉えられなくなる可能性が高く、何をやっても否定的に考えてしまう癖が付きますから、これが最も大きな原因だと思います。
しかし、その原因を作り出す、さらに根本的な高齢の人たちと若い人たちの違いは、その時代背景にあると思います。
高齢の人たちは、何もなかった時代から生きています。だから、些細なことでも、自分の努力がいろんな形で残ります。「このビルは俺が造ったんだぞ」と日雇いで働いていたホームレスの人は自慢げに言うでしょう。自慢話は良くないと否定する人が多いと思いますが、「自分にはこれがある」という思いは、とても大切なものです。度を超してはいけませんが、自慢も自己肯定感に大きくつながります。
しかし、若者たちは、ものがあふれている時代に生まれてきました。だから、何をやっても当たり前です。気休めのほめ言葉をもらっても、かえって自分を惨めに感じるだけです。何をやっても当たり前で、できなければ解雇されたり、悪い評価をされてしまう引き算の人生になってしまいます。だから、プラス思考は持てず、否定的でマイナス思考になってしまいます。自己肯定感も低くなります。
当然、落ちこぼれずに優良企業に入った人たちは、肯定的に生きられますが、落ちこぼれた人は、常に自分を否定してしまいます。(ここで落ちこぼれという言葉を使いますが、落ちこぼれなんて本来はないのですが、自分は落ちこぼれてしまったと思ってしまう人がいるので、取りあえずという感じでこの言葉を使います)
しかし、私は、落ちこぼれる、落ちこぼれないに関わらず、今の若い人たち(と言っても30代前後ですが)は、やはりものがあふれる時代に育ってきたことによる影響を感じずにいられません。
それは、若い世代の人たちに、心の裏側を見つめたり、人の苦労などを見つめようとしない人が多くいるように感じるのです。それが、やはりものがあふれる時代に生きた人たちの特徴なのではないかなと思うのです。
例えば、明るい人がよいということは、誰もが思うことですが、明るさにもいろいろあることを知り、その人の明るさにはどのような意味があり、どこから来ているのかなど、その深い部分まであまり考えない人が多いように感じます。
ものがない時代から生きている人は、ものに恵まれるようになるまでの変化をしっかりと見ているために、今、恵まれているのは、その背景として苦しかった過去があるからだとすぐに分かるし、感じるのですが、生まれたときからものに恵まれている人は、それが当たり前のことなので、その背景まで見ようとしないのだと思います。
こんな感じで、ものが有り余る時代から生きる子どもたちに、ものごとの裏側に隠されている人の苦労や、明るさなどの裏側にあるものを見つめることの大切さをどうやって伝えたらよいのか、難しい時代ですね。
昨年、山で会った方から手紙をもらい、その手紙に「あなたはいつ会っても何の苦労もないかのように笑顔で接してくれる。ただ、頭が下がる思いです」と書かれていたのですが、本当にうれしく、自分も、この人のように、笑顔の裏側をもっともっと見つめる人間になりたいなと思いました。
子どもたちや若者たちに伝えるためには、もっともっと自分自身が修行しなければなりませんね。
社交不安障害と認知行動療法に関する講演を聞いたあと、NPOなどで活動している団体の方が活動の紹介などを行ったのですが、その中で、興味深かったのは、就労支援をしている団体の話です。
いろんな活動のことを話されたのですが、高齢の人と若い人のものごとのとらえ方の違いを、ホームレスの違いで話しました。それは、ホームレスの人たちが売る冊子の販売数に対する考え方の違いです。1日に50部売ることはなかなか難しいのですが、それを達成したとき、高齢のホームレスは、「今日はたくさん売れて良かった」と思うのだそうです。しかし、若いホームレスは、「今日は売れたけど、昨日は5部しか売れなかった」と落ち込むのだそうです。
この違いの原因をみなさんはどう思われますか?
若いホームレスは、子どもの頃から親に、否定的な育てられ方をしたのが一番大きな原因だと思います。「こうでなければいけない」「そんなことではだめだ」という育てられ方をすると、マイナスのことばかりに心が行ってしまいますから、肯定的に物事を捉えられなくなる可能性が高く、何をやっても否定的に考えてしまう癖が付きますから、これが最も大きな原因だと思います。
しかし、その原因を作り出す、さらに根本的な高齢の人たちと若い人たちの違いは、その時代背景にあると思います。
高齢の人たちは、何もなかった時代から生きています。だから、些細なことでも、自分の努力がいろんな形で残ります。「このビルは俺が造ったんだぞ」と日雇いで働いていたホームレスの人は自慢げに言うでしょう。自慢話は良くないと否定する人が多いと思いますが、「自分にはこれがある」という思いは、とても大切なものです。度を超してはいけませんが、自慢も自己肯定感に大きくつながります。
しかし、若者たちは、ものがあふれている時代に生まれてきました。だから、何をやっても当たり前です。気休めのほめ言葉をもらっても、かえって自分を惨めに感じるだけです。何をやっても当たり前で、できなければ解雇されたり、悪い評価をされてしまう引き算の人生になってしまいます。だから、プラス思考は持てず、否定的でマイナス思考になってしまいます。自己肯定感も低くなります。
当然、落ちこぼれずに優良企業に入った人たちは、肯定的に生きられますが、落ちこぼれた人は、常に自分を否定してしまいます。(ここで落ちこぼれという言葉を使いますが、落ちこぼれなんて本来はないのですが、自分は落ちこぼれてしまったと思ってしまう人がいるので、取りあえずという感じでこの言葉を使います)
しかし、私は、落ちこぼれる、落ちこぼれないに関わらず、今の若い人たち(と言っても30代前後ですが)は、やはりものがあふれる時代に育ってきたことによる影響を感じずにいられません。
それは、若い世代の人たちに、心の裏側を見つめたり、人の苦労などを見つめようとしない人が多くいるように感じるのです。それが、やはりものがあふれる時代に生きた人たちの特徴なのではないかなと思うのです。
例えば、明るい人がよいということは、誰もが思うことですが、明るさにもいろいろあることを知り、その人の明るさにはどのような意味があり、どこから来ているのかなど、その深い部分まであまり考えない人が多いように感じます。
ものがない時代から生きている人は、ものに恵まれるようになるまでの変化をしっかりと見ているために、今、恵まれているのは、その背景として苦しかった過去があるからだとすぐに分かるし、感じるのですが、生まれたときからものに恵まれている人は、それが当たり前のことなので、その背景まで見ようとしないのだと思います。
こんな感じで、ものが有り余る時代から生きる子どもたちに、ものごとの裏側に隠されている人の苦労や、明るさなどの裏側にあるものを見つめることの大切さをどうやって伝えたらよいのか、難しい時代ですね。
昨年、山で会った方から手紙をもらい、その手紙に「あなたはいつ会っても何の苦労もないかのように笑顔で接してくれる。ただ、頭が下がる思いです」と書かれていたのですが、本当にうれしく、自分も、この人のように、笑顔の裏側をもっともっと見つめる人間になりたいなと思いました。
子どもたちや若者たちに伝えるためには、もっともっと自分自身が修行しなければなりませんね。
2011年12月30日
心を見つめて
2011年も押し迫ってきました。
今年は、東日本大震災という未曾有の大災害があり、大変な一年でした。
被災されて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、生存された方の心が穏やかになり、安定した生活に戻ることを心から願っています。
この世のものとも思えない大自然の偉大な力を見せつけられ、逃げることが精一杯で、波にのまれていく多くの人たちを目の当たりにされた方々の心痛を思うと、何もできなかった自分が歯がゆく思います。
人は、苦しい思いや悲しい思いが、心を満たしてくると、どうしても人を嫉んだり、憎んだり、自分を責めたり、世間一般の常識で良くない心といわれている気持ちに苛まれます。
「人を憎むことは良くないことだ」なんて、一般常識を振りかざす人は、人の心の奥が分からない人なんですね。
憎む気持ちを持つのには、ちゃんとその理由があります。その理由に目を向け、しっかりと見つめることが心の豊かさにつながります。
人を憎みたくて憎む人など、ほとんどいません。怒りたくて怒る人もほとんどいません。
憎みたくない、怒りたくない、だけど苦しくて、切なくて、どこにぶつけて良いか分からない、だから憎んだり怒ったりするのです。
その人の心をしっかりと見つめ、その奥にある深い心をくみ取って、傾聴の気持ちで、「つらいね」「苦しいね」とその気持ちを受け止めてあげると、とがっていた心も次第に落ち着いてくるのです。人の心は、誰もがそれほど変わりません。
ところが、世の中の常識は、憎むことも怒ることも良くないことだと決めつけています。だから、そんな苦しい胸の内を聞いて欲しいと思っても、人に話すことができません。しかも、「がんばれ日本」「東北がんばろう」と言われていますから、それに逆行する気持ちは、誰にも言えなくなります。だから、ますますつらくなります。
批判的な気持ちなどどこかに捨てて、黙ってその人の気持ちに寄り添って、ありのままの本音を受け入れることが大切ですし、受け入れてもらえなければ、心の傷はなかなか癒えないですね。
被災された方たちは、本当に苦しい思いをしています。経済的なことでは、ほとんど力になれないので、心の面で力になりたいと思ったのですが、結局、自分にできたのは、震災から5ヶ月もたってから、被災されたおばあちゃんの話に耳を傾けるくらいでした。
来年は、みんなが幸せを感じられる年になることを願っています。
今年は、東日本大震災という未曾有の大災害があり、大変な一年でした。
被災されて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、生存された方の心が穏やかになり、安定した生活に戻ることを心から願っています。
この世のものとも思えない大自然の偉大な力を見せつけられ、逃げることが精一杯で、波にのまれていく多くの人たちを目の当たりにされた方々の心痛を思うと、何もできなかった自分が歯がゆく思います。
人は、苦しい思いや悲しい思いが、心を満たしてくると、どうしても人を嫉んだり、憎んだり、自分を責めたり、世間一般の常識で良くない心といわれている気持ちに苛まれます。
「人を憎むことは良くないことだ」なんて、一般常識を振りかざす人は、人の心の奥が分からない人なんですね。
憎む気持ちを持つのには、ちゃんとその理由があります。その理由に目を向け、しっかりと見つめることが心の豊かさにつながります。
人を憎みたくて憎む人など、ほとんどいません。怒りたくて怒る人もほとんどいません。
憎みたくない、怒りたくない、だけど苦しくて、切なくて、どこにぶつけて良いか分からない、だから憎んだり怒ったりするのです。
その人の心をしっかりと見つめ、その奥にある深い心をくみ取って、傾聴の気持ちで、「つらいね」「苦しいね」とその気持ちを受け止めてあげると、とがっていた心も次第に落ち着いてくるのです。人の心は、誰もがそれほど変わりません。
ところが、世の中の常識は、憎むことも怒ることも良くないことだと決めつけています。だから、そんな苦しい胸の内を聞いて欲しいと思っても、人に話すことができません。しかも、「がんばれ日本」「東北がんばろう」と言われていますから、それに逆行する気持ちは、誰にも言えなくなります。だから、ますますつらくなります。
批判的な気持ちなどどこかに捨てて、黙ってその人の気持ちに寄り添って、ありのままの本音を受け入れることが大切ですし、受け入れてもらえなければ、心の傷はなかなか癒えないですね。
被災された方たちは、本当に苦しい思いをしています。経済的なことでは、ほとんど力になれないので、心の面で力になりたいと思ったのですが、結局、自分にできたのは、震災から5ヶ月もたってから、被災されたおばあちゃんの話に耳を傾けるくらいでした。
来年は、みんなが幸せを感じられる年になることを願っています。
2011年12月24日
良い面だけを見るなんて?
よく、人の良い面だけを見ることが大切だという人がいます。みなさんは、どう思いますか?
そのような見方でその人が幸せなら、それでなにも問題はありません。ただ、必ずいつか問題が起きることがあるはずです。果たしてそのときも、そう思っていられるでしょうか?
浅い関係しかない人となら、その人の良い面だけを見て付き合えます。私も、はじめて人に会うと、ほとんどの人を良い人だと思います。でも、最近は、良い人とも悪い人とも思わず、そのままを受け止めようと思っていますが。
関係の深い人といえば、まず思い浮かぶのは、夫婦や親子、嫁姑の関係ですね。この関係で、果たして良い面だけを見て付き合っていくことができるでしょうか? まずできる人はいないでしょう。できなくて良いのです。
人と人が長く付き合っていれば、いろんなことが見えてきます。良い面も良くない面もたくさん見えてきます。大切なのは、良くない面をどのように受け止めたら良いのかをしっかりと考えることなのです。
良くない面をそのまま指摘したら、相手は怒り出して、けんかになるだけです。そういう体験も大切です。それらのうまくいかなかった体験を通して、いろんなことを学んでいきます。
相手のことを思えば、欠点をできるだけ押さえられるように、相手をカバーしたり、さりげなく伝えてあげることが必要になります。そうしなければ、相手の人は、その欠点のために、大きな失敗をしてしまうかも知れないのですから。
しかし、良い点だけしか見ようとしないと、相手の人に適切なアドバイスもできないし、何よりも相手のことを見つめてあげていないことになります。
良い点だけを見ないようにという考え方は、言い方を変えると、人と深く関わるなという処世術の一つなんですね。
とにかく私はリーダーをしていますが、リーダーは、誰よりもいろんなことを見せつけられますから、否が応でも欠点を見つけますし、また、欠点もしっかりと見なければならないのですね。それでなければ、人から動いてもらうことはできないですし、欠点に気づいていないと、取り返しのつかない失敗をしてしまう可能性も多分にあります。
人を長所も欠点も、できるだけ多く、あるがままに見つめ、受け止め、そして、その欠点をどのようにカバーしたらよいか考えることはとても大切なことであり、相手のためにもなることなんですね。最低限、リーダーにはそれが求められます。
そのような見方でその人が幸せなら、それでなにも問題はありません。ただ、必ずいつか問題が起きることがあるはずです。果たしてそのときも、そう思っていられるでしょうか?
浅い関係しかない人となら、その人の良い面だけを見て付き合えます。私も、はじめて人に会うと、ほとんどの人を良い人だと思います。でも、最近は、良い人とも悪い人とも思わず、そのままを受け止めようと思っていますが。
関係の深い人といえば、まず思い浮かぶのは、夫婦や親子、嫁姑の関係ですね。この関係で、果たして良い面だけを見て付き合っていくことができるでしょうか? まずできる人はいないでしょう。できなくて良いのです。
人と人が長く付き合っていれば、いろんなことが見えてきます。良い面も良くない面もたくさん見えてきます。大切なのは、良くない面をどのように受け止めたら良いのかをしっかりと考えることなのです。
良くない面をそのまま指摘したら、相手は怒り出して、けんかになるだけです。そういう体験も大切です。それらのうまくいかなかった体験を通して、いろんなことを学んでいきます。
相手のことを思えば、欠点をできるだけ押さえられるように、相手をカバーしたり、さりげなく伝えてあげることが必要になります。そうしなければ、相手の人は、その欠点のために、大きな失敗をしてしまうかも知れないのですから。
しかし、良い点だけしか見ようとしないと、相手の人に適切なアドバイスもできないし、何よりも相手のことを見つめてあげていないことになります。
良い点だけを見ないようにという考え方は、言い方を変えると、人と深く関わるなという処世術の一つなんですね。
とにかく私はリーダーをしていますが、リーダーは、誰よりもいろんなことを見せつけられますから、否が応でも欠点を見つけますし、また、欠点もしっかりと見なければならないのですね。それでなければ、人から動いてもらうことはできないですし、欠点に気づいていないと、取り返しのつかない失敗をしてしまう可能性も多分にあります。
人を長所も欠点も、できるだけ多く、あるがままに見つめ、受け止め、そして、その欠点をどのようにカバーしたらよいか考えることはとても大切なことであり、相手のためにもなることなんですね。最低限、リーダーにはそれが求められます。
2011年12月08日
堀田力さんの講演会
今日は、NPO法人ユーアイやちよ主催の堀田力さんの講演会に行って来ました。
東日本大震災の仮設住宅の支援から始まって、地域包括ケアの話など、有意義な話を聴かせていただきました。
東日本大震災の話は、宮城や岩手、福島などで被災した人たちの癒しに、ツアーバスを企画したが、茨城県の人から、私たちのところには来ないのかという話があったそうです。
それではと、バスを出すことにして、温泉に行く前にどこか観光地に寄りますかと話をすると、仮設住宅に住む人たちは、福島の人たちを励ましに行きたいと言ったそうです。
堀田さんは、そのことをすばらしいと言っていたのですが、私も実際に体験しなければ何とも言えないのですが、気持ちの上では、普段からそうするだろうなと思っています。また、マザーテレサが、路上に倒れている人たちの気持ちを救う活動をはじめたのは、インドで、今にも死にそうなやせ細った貧しい人に、食べ物を配った時、その人はそれを食べずに奥に持っていって行き、寝たきりで食べ物をもらいにでられない人に、与えていた姿に接したことが大きな理由だったと聞いています。
自分がぎりぎりの状態にあっても、それ以上に大変な人のために施す、その気持ちこそ、人として非常に尊い気持ちですよね。
バスで福島に行った人たちは、現地の人を前にして、どんな言葉も出せなかったそうです。しかし、しばらくして、お互いに抱き合ったと言うことです。「がんばってください」なんて、びんびんに気持ちが張ってがんばり続けている人に対して、言う言葉ではありません。「これ以上、何をがんばったらよいのですか? 何をがんばれというのですか?」と言いたくなります。無責任な言葉ですよね。
こんな時、言葉は大きな意味を持たないですね。
それと、堀田さんは、特捜部の検事として活躍してこられた方ですが、相手はみんな1億円以上脱税するような大金持ちです。堀田さんは言っていました。大金持ちの人たちは、みんな幸せではなかったと。
心がないと、金の切れ目が縁の切れ目ですからね。大金持ちには、人と人との心のつながりがなかったようです。
生きるために最低限必要なお金と少しの余裕資金程度で十分ですね。ただ、社会の役に立つことをしようと思っても、制約が多いのが現実です。私も、2カ所のNPOで働き、今は放課後子ども教室のスタッフとしてアルバイトをしていて、これ自体が社会貢献につながっていると思いますし、引きこもりの人たちの親の人たちが集まるところに行って、話を聞き、こちらもいろいろ話しています。八千代市の市民活動サポートセンターの運営委員長もしていますが、これらは当然ですが、ボランティアです。
NPOで得られる収入は、日常生活ができるぎりぎりの線をまだ少し下回っているかなというくらいですから、これ以上、ボランティアでは自分の生活がなりいかなくなりますね。
それでも、できる限りのことはしたいと思っているので、がんばるよりは楽しく、自分の人生を生きたいですね。人から見たら苦労だと思われる部分もあると思いますが、それ自体を楽しめると思っていますので。
20歳くらいの頃、「どんな苦労にも負けない強さが好き そして、苦労を苦労と思わない明るさが欲しい」と書いたことがあるのですが、少しはそんな明るさを持てるようになれたかなと思うのですが、どうでしょうか?
東日本大震災の仮設住宅の支援から始まって、地域包括ケアの話など、有意義な話を聴かせていただきました。
東日本大震災の話は、宮城や岩手、福島などで被災した人たちの癒しに、ツアーバスを企画したが、茨城県の人から、私たちのところには来ないのかという話があったそうです。
それではと、バスを出すことにして、温泉に行く前にどこか観光地に寄りますかと話をすると、仮設住宅に住む人たちは、福島の人たちを励ましに行きたいと言ったそうです。
堀田さんは、そのことをすばらしいと言っていたのですが、私も実際に体験しなければ何とも言えないのですが、気持ちの上では、普段からそうするだろうなと思っています。また、マザーテレサが、路上に倒れている人たちの気持ちを救う活動をはじめたのは、インドで、今にも死にそうなやせ細った貧しい人に、食べ物を配った時、その人はそれを食べずに奥に持っていって行き、寝たきりで食べ物をもらいにでられない人に、与えていた姿に接したことが大きな理由だったと聞いています。
自分がぎりぎりの状態にあっても、それ以上に大変な人のために施す、その気持ちこそ、人として非常に尊い気持ちですよね。
バスで福島に行った人たちは、現地の人を前にして、どんな言葉も出せなかったそうです。しかし、しばらくして、お互いに抱き合ったと言うことです。「がんばってください」なんて、びんびんに気持ちが張ってがんばり続けている人に対して、言う言葉ではありません。「これ以上、何をがんばったらよいのですか? 何をがんばれというのですか?」と言いたくなります。無責任な言葉ですよね。
こんな時、言葉は大きな意味を持たないですね。
それと、堀田さんは、特捜部の検事として活躍してこられた方ですが、相手はみんな1億円以上脱税するような大金持ちです。堀田さんは言っていました。大金持ちの人たちは、みんな幸せではなかったと。
心がないと、金の切れ目が縁の切れ目ですからね。大金持ちには、人と人との心のつながりがなかったようです。
生きるために最低限必要なお金と少しの余裕資金程度で十分ですね。ただ、社会の役に立つことをしようと思っても、制約が多いのが現実です。私も、2カ所のNPOで働き、今は放課後子ども教室のスタッフとしてアルバイトをしていて、これ自体が社会貢献につながっていると思いますし、引きこもりの人たちの親の人たちが集まるところに行って、話を聞き、こちらもいろいろ話しています。八千代市の市民活動サポートセンターの運営委員長もしていますが、これらは当然ですが、ボランティアです。
NPOで得られる収入は、日常生活ができるぎりぎりの線をまだ少し下回っているかなというくらいですから、これ以上、ボランティアでは自分の生活がなりいかなくなりますね。
それでも、できる限りのことはしたいと思っているので、がんばるよりは楽しく、自分の人生を生きたいですね。人から見たら苦労だと思われる部分もあると思いますが、それ自体を楽しめると思っていますので。
20歳くらいの頃、「どんな苦労にも負けない強さが好き そして、苦労を苦労と思わない明るさが欲しい」と書いたことがあるのですが、少しはそんな明るさを持てるようになれたかなと思うのですが、どうでしょうか?
2011年11月30日
児童養護施設の子どもたち
勝田台の図書館で「児童養護施設の子どもたち」という本を借りて読んでみました。
この本は、大久保真紀さんという朝日新聞の記者の方が、養護施設に泊まり込んだりして体験したことを基に書かれた本で、虐待にあった子どもたちの心性がよく分かります。
虐待にあった子どもたちは、虐待をする親から引き離すことが必要ですが、まずそれが難しく、引き離して養護施設に入っても、愛情を受けて育ってこなかったため、心が不安定で、人との関係がなかなか作れません。
子どもは、どんな親であっても、親と一緒にいたいのです。しかし、親と話をしたいと思って、電話をかけても、面倒くさがられて切られたりするので、満たされない思いは、どんどんつのります。
大人になったら、施設を出なければならないのですが、愛情をもらっていないため、ひとりになることが不安で不安でたまらなくなって、偽りの優しい言葉を求めて、援助交際をしてしまったり、良くない友達に電話をしてしまい、住み込みの場所を荒らされて仕事ができなくなってしまったりしてしまいます。
定職に就くことが非常に難しく、ホームレス状態になることも多々あると思いますし、犯罪に走ってしまうケースもあるでしょう。
でも、私は、罪を憎んで人を憎まずでいきたいです。彼らに罪があるのではなく、そんな社会にしてしまったことに問題があるので、私自身もそうですが、すべての人に責任があると思います。
虐待を受けて育ち、大人になると、やはりまた虐待をしてしまうケースが多々あります。そんな親をサポートする仕組みを作り、虐待の連鎖を断ち切るようにしないと、いつまでも連鎖が続くと共に、さらに広がる危険性も高いと思います。
そんな中でも、苦労して苦労して立ち直っていった女性のことも書かれています。虐待をしてしまう親のことも書かれています。本当に読むのがつらいと思うところもありますが、だからこそ、ぜひ読んでみてください。
この本は、大久保真紀さんという朝日新聞の記者の方が、養護施設に泊まり込んだりして体験したことを基に書かれた本で、虐待にあった子どもたちの心性がよく分かります。
虐待にあった子どもたちは、虐待をする親から引き離すことが必要ですが、まずそれが難しく、引き離して養護施設に入っても、愛情を受けて育ってこなかったため、心が不安定で、人との関係がなかなか作れません。
子どもは、どんな親であっても、親と一緒にいたいのです。しかし、親と話をしたいと思って、電話をかけても、面倒くさがられて切られたりするので、満たされない思いは、どんどんつのります。
大人になったら、施設を出なければならないのですが、愛情をもらっていないため、ひとりになることが不安で不安でたまらなくなって、偽りの優しい言葉を求めて、援助交際をしてしまったり、良くない友達に電話をしてしまい、住み込みの場所を荒らされて仕事ができなくなってしまったりしてしまいます。
定職に就くことが非常に難しく、ホームレス状態になることも多々あると思いますし、犯罪に走ってしまうケースもあるでしょう。
でも、私は、罪を憎んで人を憎まずでいきたいです。彼らに罪があるのではなく、そんな社会にしてしまったことに問題があるので、私自身もそうですが、すべての人に責任があると思います。
虐待を受けて育ち、大人になると、やはりまた虐待をしてしまうケースが多々あります。そんな親をサポートする仕組みを作り、虐待の連鎖を断ち切るようにしないと、いつまでも連鎖が続くと共に、さらに広がる危険性も高いと思います。
そんな中でも、苦労して苦労して立ち直っていった女性のことも書かれています。虐待をしてしまう親のことも書かれています。本当に読むのがつらいと思うところもありますが、だからこそ、ぜひ読んでみてください。
2011年11月18日
NHK特報首都圏インスタントセックス
今日のNHK特報首都圏は、中・高校生や若者が、誰とでもかんたんに体の関係を持つことを報道していました。小学生でもあるそうです。
この番組には、エッセイストの中村うさぎさんが出演して、考えを述べていたのですが、信じられないことを聞いてしまいました。
世の中には、アルコール依存症やギャンブル依存症があり、それらと同じようにセックスで心を癒そうとしているのだから、あまり問題ではないと言っていました。しかも、アルコール依存症は体をこわす危険が高く、ギャンブルは経済的に破綻する問題があるが、それらと比べるとインスタントセックスは健康や経済面で危険が少なく、それらよりも良いというように言っていました。正直、耳を疑いました。
健康や経済面など、物理的な面しか見ていないのではないでしょうか?
アルコール依存症やギャンブル依存症なども、どんなに酒を飲んでも、ギャンブルをしても満たされないから、依存してしまうのです。だから、依存している人は、決して自分自身を幸福とは思えないのです。
それと同じように、満たされない思いを満たしたくてする彼女たちは、どんなに相手と関係を持っても満たされないのです。
番組に出てきた女性が語っていました。子どもの頃から虐待されて、学校ではいじめにあったけど、誰も助けてくれない。誰ひとり、信じられなくなり、自己肯定感が非常に低くなる。その投げやりな気持ちの中で、自分なんてどうなっても良い、ひととき気持ちを紛らわせばそれでよいのだという思いから、見知らぬ相手と関係を持ってしまうのです。
どんなに男と関係を持っても、寂しさは満たされず、関係を持てば持つほど、寂しい思いが募るようになるでしょう。もしかしたら犯罪さえ起こしてしまうかも知れません。寂しさが極限に達すれば、自殺もしてしまうでしょう。
インスタントセックスで気を紛らわせるので、それも悪くないと言うのは、あまりにも無責任です。
子どもの頃から愛情をもらえなかったために、大人になってもいつまでも愛情を求め続ける。それが真の愛情でなくても、それに依存してしまう。真の愛情を知らずに大きくなってしまったことの悲しさにもっと目を向けるべきです。その子が親になったとき、きっとまた我が子に虐待をしてしまいます。その連鎖をどこかで断ち切らなければならないのです。
難しいことですが、虐待をされた子どもたちに、私たちはもっともっと心を向けるべきだと思います。
この番組には、エッセイストの中村うさぎさんが出演して、考えを述べていたのですが、信じられないことを聞いてしまいました。
世の中には、アルコール依存症やギャンブル依存症があり、それらと同じようにセックスで心を癒そうとしているのだから、あまり問題ではないと言っていました。しかも、アルコール依存症は体をこわす危険が高く、ギャンブルは経済的に破綻する問題があるが、それらと比べるとインスタントセックスは健康や経済面で危険が少なく、それらよりも良いというように言っていました。正直、耳を疑いました。
健康や経済面など、物理的な面しか見ていないのではないでしょうか?
アルコール依存症やギャンブル依存症なども、どんなに酒を飲んでも、ギャンブルをしても満たされないから、依存してしまうのです。だから、依存している人は、決して自分自身を幸福とは思えないのです。
それと同じように、満たされない思いを満たしたくてする彼女たちは、どんなに相手と関係を持っても満たされないのです。
番組に出てきた女性が語っていました。子どもの頃から虐待されて、学校ではいじめにあったけど、誰も助けてくれない。誰ひとり、信じられなくなり、自己肯定感が非常に低くなる。その投げやりな気持ちの中で、自分なんてどうなっても良い、ひととき気持ちを紛らわせばそれでよいのだという思いから、見知らぬ相手と関係を持ってしまうのです。
どんなに男と関係を持っても、寂しさは満たされず、関係を持てば持つほど、寂しい思いが募るようになるでしょう。もしかしたら犯罪さえ起こしてしまうかも知れません。寂しさが極限に達すれば、自殺もしてしまうでしょう。
インスタントセックスで気を紛らわせるので、それも悪くないと言うのは、あまりにも無責任です。
子どもの頃から愛情をもらえなかったために、大人になってもいつまでも愛情を求め続ける。それが真の愛情でなくても、それに依存してしまう。真の愛情を知らずに大きくなってしまったことの悲しさにもっと目を向けるべきです。その子が親になったとき、きっとまた我が子に虐待をしてしまいます。その連鎖をどこかで断ち切らなければならないのです。
難しいことですが、虐待をされた子どもたちに、私たちはもっともっと心を向けるべきだと思います。
2011年11月11日
助けてと言えない(本)
2年前のNHKクローズアップ現代で見た若者の孤独死を、詳しい取材で1冊の本にまとめた「助けてと言えない-いま30代に何が-」を読んでみました。
「自分が悪いのだから人には頼れない」「自己責任だ」
仕事がなく、食べるものもなく、住む場所もない30代のホームレスが増えているといいます。そして、生きていくことが難しい状況になっても、誰にも助けを求められない。ホームレスになっても、人にホームレスと悟られないように、外見だけはつくろう。彼らは、なぜぎりぎりの苦しみの中にあっても、人に助けを求められなかったのでしょうか?
30代後半は、団塊ジュニアの世代です。彼らは、日本経済の高度成長を牽引した団塊の世代の子どもたちです。団塊世代は、戦後の混乱の貧しかった時代に努力をして、経済的な豊かさを獲得してきた世代です。海外から技術を導入して、国内でいろんなものが作られていきました。大量の人口を抱える世代でしたが、仕事は十分にあり、誰もががんばれば報われる時代でした。努力をして良い学校に進めば、学歴社会の恩恵を受け、安定した職位と多額の収入を得ることができました。
そのような成功体験を持てば、やはり我が子にも、がんばって良い学校を目指すように指導するでしょう。また、団塊の世代は、個性も重視しました。
団塊ジュニアを中心とした30代は、そんな親や社会からの教えを信じて、猛烈に勉強し、個性を生かすことを目指しました。
しかし、彼らが就職するときは、もうバブルが終わり、就職氷河期となりました。世代の人口が多いのに、就職先がない。運良く就職できても、猛烈な成果主義で、体をこわす若者も大勢出てきました。
就職できなかった若者や、体調をを崩して会社を辞めた若者たちには、派遣労働者になる以外に道はありませんでした。そして、リーマンショックなどでかんたんに首を切られてしまう。
本来なら、親の考えが甘かったため、俺たちは犠牲になったんだと思っても不思議ではないのですが、彼らは、自己責任という気持ちを強く植え込まれていて、すべては自分が悪いのだと思ってしまいます。そして、人を頼ることは恥ずかしいこととして避ける。
うまく表現するのは、難しいのですが、私は、引きこもりの人たちにも30代が多いこととつながると思います。30代は、うつなど精神的な病にかかる人も多いように感じています。
本の中で、作家の平野啓一郎さんは、この年代は、個性を重視することを教えられ、自分が好きなことややりたいことを仕事にすることが良いと教えられたが、仕事というのは、社会が必要とすることをすることであって、自分がやりたいからといってそれが仕事になるとは限らないといっています。どんなに山が好きでも山を仕事にできる人は限られていますし、山の仕事をしたい人が増えても需要はそんなにないでしょう。社会が必要としているのは、おもしろくない仕事が多いのですが、自分が心に描いているもとのとギャップが大きく、自分探しの旅に出るのもこの世代に多かったのではないでしょうか?
この本は、大変お勧めです。町の図書館などで借りて、ぜひ読んでみてください。
「自分が悪いのだから人には頼れない」「自己責任だ」
仕事がなく、食べるものもなく、住む場所もない30代のホームレスが増えているといいます。そして、生きていくことが難しい状況になっても、誰にも助けを求められない。ホームレスになっても、人にホームレスと悟られないように、外見だけはつくろう。彼らは、なぜぎりぎりの苦しみの中にあっても、人に助けを求められなかったのでしょうか?
30代後半は、団塊ジュニアの世代です。彼らは、日本経済の高度成長を牽引した団塊の世代の子どもたちです。団塊世代は、戦後の混乱の貧しかった時代に努力をして、経済的な豊かさを獲得してきた世代です。海外から技術を導入して、国内でいろんなものが作られていきました。大量の人口を抱える世代でしたが、仕事は十分にあり、誰もががんばれば報われる時代でした。努力をして良い学校に進めば、学歴社会の恩恵を受け、安定した職位と多額の収入を得ることができました。
そのような成功体験を持てば、やはり我が子にも、がんばって良い学校を目指すように指導するでしょう。また、団塊の世代は、個性も重視しました。
団塊ジュニアを中心とした30代は、そんな親や社会からの教えを信じて、猛烈に勉強し、個性を生かすことを目指しました。
しかし、彼らが就職するときは、もうバブルが終わり、就職氷河期となりました。世代の人口が多いのに、就職先がない。運良く就職できても、猛烈な成果主義で、体をこわす若者も大勢出てきました。
就職できなかった若者や、体調をを崩して会社を辞めた若者たちには、派遣労働者になる以外に道はありませんでした。そして、リーマンショックなどでかんたんに首を切られてしまう。
本来なら、親の考えが甘かったため、俺たちは犠牲になったんだと思っても不思議ではないのですが、彼らは、自己責任という気持ちを強く植え込まれていて、すべては自分が悪いのだと思ってしまいます。そして、人を頼ることは恥ずかしいこととして避ける。
うまく表現するのは、難しいのですが、私は、引きこもりの人たちにも30代が多いこととつながると思います。30代は、うつなど精神的な病にかかる人も多いように感じています。
本の中で、作家の平野啓一郎さんは、この年代は、個性を重視することを教えられ、自分が好きなことややりたいことを仕事にすることが良いと教えられたが、仕事というのは、社会が必要とすることをすることであって、自分がやりたいからといってそれが仕事になるとは限らないといっています。どんなに山が好きでも山を仕事にできる人は限られていますし、山の仕事をしたい人が増えても需要はそんなにないでしょう。社会が必要としているのは、おもしろくない仕事が多いのですが、自分が心に描いているもとのとギャップが大きく、自分探しの旅に出るのもこの世代に多かったのではないでしょうか?
この本は、大変お勧めです。町の図書館などで借りて、ぜひ読んでみてください。
2011年10月23日
理想の姿はひとりひとりの心に描くもの
私も、いろんなことに関わり、いろんな人と接しているのですが、いろんな考え方があるものだな~と、つくづく思います。
たとえばの話なのですが、ものごとの理想の姿を、みんなで考えて共有しようという考えの方もいるようです。
当然、そのように思うことは、決して悪いことではないし、自由なのですが、私にはどうしても、そういうことは無理な気がしますし、少なくても、私には絶対にできないことです。
なぜなら、理想というのは、ひとりひとり違って当たり前だし、「世界に一つだけの花」ではないけど、違ってこそ価値があると思うんですね。
そもそも、理想像なんて、みんなが違っているのだから、それを合わせるためには、自分の理想を曲げなければならないわけで、必ず妥協することになりますよね。それだけで、もう理想像ではなくなるんです。
私の理想像は、市民活動が活性化することでも、行政がいろんなことをしてくれることでもありません。
すべての人が幸せになることが理想です。みんなが幸せになり、人のことを自分のことと同じように、尊重し、大切にすることができる心の豊かさを持てれば、規則も法律もいらなくなります。さらにいえば、国もなくて良くなります。
国境も規則もなく、誰もが当たり前のこととして、人のことを思い、大切にする社会になることが理想なので、形の上では、「国がなくなることが理想だ」と言いたいんですよね。
ただ、その理想にはほど遠い世の中ですし、人は心が弱いから、人よりも自分を守ろうとするし、ねたんだり、嫉妬したり、怒ったり、奪い取ろうとしたりしてしまうんですよね。そんな理想とほど遠い社会だから、国が必要になり、法律が必要になり、NPOが必要になるんですね。すべては妥協の産物です。
だから、理想を共有するなんて意味がないし、無理だと思うのです。
たとえばの話なのですが、ものごとの理想の姿を、みんなで考えて共有しようという考えの方もいるようです。
当然、そのように思うことは、決して悪いことではないし、自由なのですが、私にはどうしても、そういうことは無理な気がしますし、少なくても、私には絶対にできないことです。
なぜなら、理想というのは、ひとりひとり違って当たり前だし、「世界に一つだけの花」ではないけど、違ってこそ価値があると思うんですね。
そもそも、理想像なんて、みんなが違っているのだから、それを合わせるためには、自分の理想を曲げなければならないわけで、必ず妥協することになりますよね。それだけで、もう理想像ではなくなるんです。
私の理想像は、市民活動が活性化することでも、行政がいろんなことをしてくれることでもありません。
すべての人が幸せになることが理想です。みんなが幸せになり、人のことを自分のことと同じように、尊重し、大切にすることができる心の豊かさを持てれば、規則も法律もいらなくなります。さらにいえば、国もなくて良くなります。
国境も規則もなく、誰もが当たり前のこととして、人のことを思い、大切にする社会になることが理想なので、形の上では、「国がなくなることが理想だ」と言いたいんですよね。
ただ、その理想にはほど遠い世の中ですし、人は心が弱いから、人よりも自分を守ろうとするし、ねたんだり、嫉妬したり、怒ったり、奪い取ろうとしたりしてしまうんですよね。そんな理想とほど遠い社会だから、国が必要になり、法律が必要になり、NPOが必要になるんですね。すべては妥協の産物です。
だから、理想を共有するなんて意味がないし、無理だと思うのです。
2011年10月21日
不登校訪問専門員
遅れに遅れていたレポートを今月になって提出した「不登校訪問専門員」ですが、何とか合格し、資格をいただくことができます。
審査員(だと思いますが)の方が直筆で書いたコメントに、「レポートからやさしい心がひしひしと伝わってくる」と書いていただけたことは、本当にありがたく、うれしいことでした。
ただ、点数からいうと、ひきこもり支援相談士より少し低かったですね。
昨年は、ひきこもり支援相談士、今年は介護福祉士と不登校訪問専門員の資格を取ることができましたが、資格取得は、これで打ち止めの予定です。ただ、私の年賀状を読むと啓発されるので、とても楽しみにしているといってくださる方がいるので、資格は取らなくても、来年もまた、いろんなことをがんばりつつ、楽しんでみたいですね。まだ、来年のことは早いですね。
審査員(だと思いますが)の方が直筆で書いたコメントに、「レポートからやさしい心がひしひしと伝わってくる」と書いていただけたことは、本当にありがたく、うれしいことでした。
ただ、点数からいうと、ひきこもり支援相談士より少し低かったですね。
昨年は、ひきこもり支援相談士、今年は介護福祉士と不登校訪問専門員の資格を取ることができましたが、資格取得は、これで打ち止めの予定です。ただ、私の年賀状を読むと啓発されるので、とても楽しみにしているといってくださる方がいるので、資格は取らなくても、来年もまた、いろんなことをがんばりつつ、楽しんでみたいですね。まだ、来年のことは早いですね。
2011年10月03日
大切な小さな幸せ
今日、ある人の家の訪問時間まで少し時間があったので、狭い道を自転車をぷらぷらこいでいました。
そしたら、反対側から小学校低学年くらいの男の子が歩いてきます。
私に近づいたら、なぜか立ち止まって、きょとんとしています。そして、「こんにちは」と挨拶をしてくれました。
私も、「こんにちは」と挨拶を返し、「どうしたの?」と聞くと、その子は「友達と遊んできたの」と言います。
「そうか、これから家に帰るのか?」「うん」「気をつけて帰れよ」「はい」という他愛のない会話でした。
そして、「それじゃあな」と分かれようとしたら、その子も「気をつけて帰ってください」と言うではないですか。「ありがとう」と言って、私は目的の人の家に向かいました。
たったそれだけのことですが、子どもとふれあえると、小さな幸せを感じますね。
これまでも、全く見ず知らずの小さな女の子が、車の中から手を振ってくれたことが2~3回ほどあります。車にはお母さんとか、おじいちゃんなど家族が乗っているのですが、家族の人がなんだろうと思って、車の中からこちらを見ていました。
当然、こちらも手を振って、にっこりするのですが、自然にうれしさがこみ上げてきます。
最近は、小1のSちゃんが、お母さんの車や自転車に乗っているときに、車の中だと窓ガラスを開けて、「アルプ(当然本名ですが)さーん」と大きな声をかけてくれます。
かわいいSちゃんに会えれば、それだけでハッピーです。
田舎の良寛和尚の短歌に
この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし
というものがありますが、子どもらと遊んでいると、こちらの気持ちも純粋になってくるように感じます。
写真は、タケシマランの実ですが、この実に出会えた時もハッピーだと感じますが、子どもたちとの出会いも、本当にハッピーになりますね。
そしたら、反対側から小学校低学年くらいの男の子が歩いてきます。
私に近づいたら、なぜか立ち止まって、きょとんとしています。そして、「こんにちは」と挨拶をしてくれました。
私も、「こんにちは」と挨拶を返し、「どうしたの?」と聞くと、その子は「友達と遊んできたの」と言います。
「そうか、これから家に帰るのか?」「うん」「気をつけて帰れよ」「はい」という他愛のない会話でした。
そして、「それじゃあな」と分かれようとしたら、その子も「気をつけて帰ってください」と言うではないですか。「ありがとう」と言って、私は目的の人の家に向かいました。
たったそれだけのことですが、子どもとふれあえると、小さな幸せを感じますね。
これまでも、全く見ず知らずの小さな女の子が、車の中から手を振ってくれたことが2~3回ほどあります。車にはお母さんとか、おじいちゃんなど家族が乗っているのですが、家族の人がなんだろうと思って、車の中からこちらを見ていました。
当然、こちらも手を振って、にっこりするのですが、自然にうれしさがこみ上げてきます。
最近は、小1のSちゃんが、お母さんの車や自転車に乗っているときに、車の中だと窓ガラスを開けて、「アルプ(当然本名ですが)さーん」と大きな声をかけてくれます。
かわいいSちゃんに会えれば、それだけでハッピーです。
田舎の良寛和尚の短歌に
この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし
というものがありますが、子どもらと遊んでいると、こちらの気持ちも純粋になってくるように感じます。
写真は、タケシマランの実ですが、この実に出会えた時もハッピーだと感じますが、子どもたちとの出会いも、本当にハッピーになりますね。
2011年09月12日
西穂ピラミッドピーク
山仲間アルプの山行で、久しぶりに独標に行ったのですが、その際、数人でピラミッドピークまで足を延ばしました。
やせた岩稜が続くところですが、2003年の年末にも、3人のメンバーでこのコースを行っていました。
写真は、2003年の時の様子と、今回を比較できるように掲載してみました。
西穂独標とピラミッドピークです。
独標のピークでの記念写真です。
独標を下りて痩せ尾根に立つ2人の写真です。
独標を振り返った写真です。
痩せた岩稜を越えてきた写真です。
今回歩いてきた上記と同じ場所の写真です。
ピラミッドピークを目指す先行パーティーの写真です。
今回撮影した上記と同じ場所の写真です。
ピラミッドピークでの2人の写真です。
ピラミッドピークから見た西穂高岳の写真です。
西穂からピラミッドピークに戻ってくる人たちの写真です。
雲間から見えた冬の笠ヶ岳の写真です。
冬の西穂山荘の写真です。
やせた岩稜が続くところですが、2003年の年末にも、3人のメンバーでこのコースを行っていました。
写真は、2003年の時の様子と、今回を比較できるように掲載してみました。
西穂独標とピラミッドピークです。
独標のピークでの記念写真です。
独標を下りて痩せ尾根に立つ2人の写真です。
独標を振り返った写真です。
痩せた岩稜を越えてきた写真です。
今回歩いてきた上記と同じ場所の写真です。
ピラミッドピークを目指す先行パーティーの写真です。
今回撮影した上記と同じ場所の写真です。
ピラミッドピークでの2人の写真です。
ピラミッドピークから見た西穂高岳の写真です。
西穂からピラミッドピークに戻ってくる人たちの写真です。
雲間から見えた冬の笠ヶ岳の写真です。
冬の西穂山荘の写真です。
2011年09月09日
セピア色の東尋坊
昔、VHS-Cで録画した東尋坊を登っているときの映像をDVDに録画し、それをパソコンに取り込んで、YouTubeに掲載してみました。この映像は、1986年のものです。
今は、東尋坊はクライミング禁止だということですので、このビデオは一般公開せず、知り合いとこのブログを知っている人だけへの公開としています。
上の映像は、大勢の人が上で見ている最も海からの高さが高いところだと思います。グレードは、5.8くらいでしょうか・
下の映像は、奈落というルートで、5.10aくらいかなと思います。
今は、東尋坊はクライミング禁止だということですので、このビデオは一般公開せず、知り合いとこのブログを知っている人だけへの公開としています。
上の映像は、大勢の人が上で見ている最も海からの高さが高いところだと思います。グレードは、5.8くらいでしょうか・
下の映像は、奈落というルートで、5.10aくらいかなと思います。
2011年09月05日
人間なんて
YouTubeで、1971年に開催された伝説の中津川フォークジャンボリーで歌われた吉田拓郎さんの「人間なんて」の動画を見つけました。
短い時間に編集されたものですが、歌の部分はすべて入っています。LPレコードの裏面すべてがこの歌だったことを覚えています。
そのレコードを聞いたのは中学3年だったと思いますが、高校時代、この歌を聞いた友達が「ただ怒鳴っているだけじゃないか。こんなのは歌ではない」と言っていましたが、私には、この歌が原点です。
きれいな歌もそれはそれでよいのですが、満たされない何かを求める魂の叫びこそ、自分の歌だったと思います。そして、人と違うことをしたかったし、だからメジャーな歌よりマイナーな歌が好きでした。
他にも、岡林信康や三上寛、佐渡山豊なども、聞いていました。岡林のチューリップのアップリケや手紙は、当時、放送禁止だったのですね。部落差別のことを暑かったからでしょうね。
そんな歌も、YouTubeにありました。
短い時間に編集されたものですが、歌の部分はすべて入っています。LPレコードの裏面すべてがこの歌だったことを覚えています。
そのレコードを聞いたのは中学3年だったと思いますが、高校時代、この歌を聞いた友達が「ただ怒鳴っているだけじゃないか。こんなのは歌ではない」と言っていましたが、私には、この歌が原点です。
きれいな歌もそれはそれでよいのですが、満たされない何かを求める魂の叫びこそ、自分の歌だったと思います。そして、人と違うことをしたかったし、だからメジャーな歌よりマイナーな歌が好きでした。
他にも、岡林信康や三上寛、佐渡山豊なども、聞いていました。岡林のチューリップのアップリケや手紙は、当時、放送禁止だったのですね。部落差別のことを暑かったからでしょうね。
そんな歌も、YouTubeにありました。
2011年08月23日
カヤック
先週末は、ふれあいキャンプで、みの石滝キャンプ場に行ってきました。
はじめてカヤックに乗りましたが、なかなかおもしろかったです。
教室でいろいろ教えていただいて、すぐに問題なく乗れるようになるのですが、水かけっこをしたりしていると、ちょっとしたタイミングでバランスを崩し、転覆してしまいます。
上の写真はそのときのものですが、もっと見てみたい方は、山仲間アルプのサイトをご覧ください。
キャンプファイヤーやKさんのギターなどでたっぷりと楽しめました。
Tさんが、ブログでキャンプのことを書いていますが、泉谷しげるの「黒いカバン」がおもしろかったということで、そのビデオも掲載しています。興味のある方は、Tさんのブログをご覧ください。
「黒いカバン」は、歌というより、お巡りさんとのおもしろいやりとりを語ったものですが、この歌はさすがに最後まで覚えられませんでした。
でも、今回もキャンプで歌ったのですが、Tさんが持ってきたフォークソングの歌本の8割くらいは歌えました。音程ははずれていますが、青春時代の歌は、ほとんど忘れることがありませんね。
はじめてカヤックに乗りましたが、なかなかおもしろかったです。
教室でいろいろ教えていただいて、すぐに問題なく乗れるようになるのですが、水かけっこをしたりしていると、ちょっとしたタイミングでバランスを崩し、転覆してしまいます。
上の写真はそのときのものですが、もっと見てみたい方は、山仲間アルプのサイトをご覧ください。
キャンプファイヤーやKさんのギターなどでたっぷりと楽しめました。
Tさんが、ブログでキャンプのことを書いていますが、泉谷しげるの「黒いカバン」がおもしろかったということで、そのビデオも掲載しています。興味のある方は、Tさんのブログをご覧ください。
「黒いカバン」は、歌というより、お巡りさんとのおもしろいやりとりを語ったものですが、この歌はさすがに最後まで覚えられませんでした。
でも、今回もキャンプで歌ったのですが、Tさんが持ってきたフォークソングの歌本の8割くらいは歌えました。音程ははずれていますが、青春時代の歌は、ほとんど忘れることがありませんね。
2011年08月19日
石巻でボランティア
土日が自由に使える日は、年に1回か2回程度しかないので、この機会を利用して、石巻の避難所にボランティアとして行ってきました。
ただ、すでに避難所に避難されている方は少なく、一番多いときで600人を越えたビッグバンも、今は30人を少し上回る程度です。
しかし、今も避難所に暮らす方々は、いろんな事情を抱えていますし、みんな地震や津波の被害者です。そのことをしっかりと心に留めて、活動してきました。
活動内容は、介護の仕事は全くなく、毎回送られてくる3度の食事を被災者の方にお渡しする仕事と、避難所の清掃などを行ってきました。
そのような中でも、被災された方から話をお聞きする機会もあり、また石巻の自然にふれることもできました。わずか4日間で、成果の上がるような活動はできませんでしたが、私にとっては、いろんな新しい体験から学ぶことの多い4日間でした。
この写真は、ビッグバンのあるところから、さらに北上川の下流方向を撮したものです。被災した状況は見られませんが、道路はまだでこぼこでブルーシートをかぶせたところが何カ所もありました。しかし、北上川周辺の自然は、すばらしいと感じました。
これは、ビッグバンの近くにある仮設住宅です。仮設住宅に入ると、避難所と違って、食事代や電気代などもすべて自分持ちです。エアコンも設置されているのですが、電気代が払えず、扇風機にする家庭も多いそうです。
ここが、私たちが活動したり、寝泊まりしたビッグバンです。立派な施設で、暑いときには、エアコンを使える快適な環境です。しかし、送られてくる食事は、いつもあまり、賞味期限が過ぎると捨てるような状況です。もったいないので、余り物もがんばって食べたのですが、それでも何度か捨てることになりました。食べ物を捨てるなんて、苦しくてなりませんでした。
13日からメンバーに加わった同期生(?)4人です。介護職や看護職ばかりなので、やはり女性が多いですね。
最終日の16日に、CLCの方から連れて行っていただいた石巻市の被災地の写真です。日和山公園から見た旧北上川の対岸の写真ですが、まだがれきの山が高く積まれていました。
日和山公園から海岸方面を見た写真です。海岸線にはがれきが長く積まれていますし、家があったところは、まだ空き地だったり、がれきが残ったままだったりしています。
津波の被害を受けた家屋です。まだ、このように放置されたままの家屋がたくさんあるようでしたが、持ち主はもうこの世にいないかもしれないのですね・・・。
まだ倒れた電柱もそのままでした。地震から5ヶ月たってもこのような状況です。1日も早い復興を願ってやみません。
ただ、すでに避難所に避難されている方は少なく、一番多いときで600人を越えたビッグバンも、今は30人を少し上回る程度です。
しかし、今も避難所に暮らす方々は、いろんな事情を抱えていますし、みんな地震や津波の被害者です。そのことをしっかりと心に留めて、活動してきました。
活動内容は、介護の仕事は全くなく、毎回送られてくる3度の食事を被災者の方にお渡しする仕事と、避難所の清掃などを行ってきました。
そのような中でも、被災された方から話をお聞きする機会もあり、また石巻の自然にふれることもできました。わずか4日間で、成果の上がるような活動はできませんでしたが、私にとっては、いろんな新しい体験から学ぶことの多い4日間でした。
この写真は、ビッグバンのあるところから、さらに北上川の下流方向を撮したものです。被災した状況は見られませんが、道路はまだでこぼこでブルーシートをかぶせたところが何カ所もありました。しかし、北上川周辺の自然は、すばらしいと感じました。
これは、ビッグバンの近くにある仮設住宅です。仮設住宅に入ると、避難所と違って、食事代や電気代などもすべて自分持ちです。エアコンも設置されているのですが、電気代が払えず、扇風機にする家庭も多いそうです。
ここが、私たちが活動したり、寝泊まりしたビッグバンです。立派な施設で、暑いときには、エアコンを使える快適な環境です。しかし、送られてくる食事は、いつもあまり、賞味期限が過ぎると捨てるような状況です。もったいないので、余り物もがんばって食べたのですが、それでも何度か捨てることになりました。食べ物を捨てるなんて、苦しくてなりませんでした。
13日からメンバーに加わった同期生(?)4人です。介護職や看護職ばかりなので、やはり女性が多いですね。
最終日の16日に、CLCの方から連れて行っていただいた石巻市の被災地の写真です。日和山公園から見た旧北上川の対岸の写真ですが、まだがれきの山が高く積まれていました。
日和山公園から海岸方面を見た写真です。海岸線にはがれきが長く積まれていますし、家があったところは、まだ空き地だったり、がれきが残ったままだったりしています。
津波の被害を受けた家屋です。まだ、このように放置されたままの家屋がたくさんあるようでしたが、持ち主はもうこの世にいないかもしれないのですね・・・。
まだ倒れた電柱もそのままでした。地震から5ヶ月たってもこのような状況です。1日も早い復興を願ってやみません。
2011年08月18日
雲ノ平
少し遅くなってしまいましたが、8月5日から9日にかけて行ってきた雲ノ平の報告です。
雲ノ平に行ったのは、今回が初めてでしたが、長丁場であることもあり、なかなかしんどかったですね。
はじめは天気が悪かったのですが、次第に安定してきて、3日目、4日目は雨に降られずにすみました。2日目も午前中は晴れていて、すばらしい展望が得られました。北アルプスのど真ん中といっても良いこの場所は、やはり別天地です。
一番上の写真は、祖父岳への登りで撮った雲ノ平です。右後ろの山は薬師岳です。
次の写真は、雲ノ平で撮ったチングルマの綿毛の写真です。綿毛に無数の水滴が付いて、宝石のようでした。
最後の写真は、祖父だけ山頂から撮った槍穂高連峰です。手前のコルにある小屋は、三俣蓮華の小屋です。
サイズが小さいですが、NPO法人山仲間アルプのサイトに写真がたくさんありますので、ぜひそちらもご覧ください。
雲ノ平に行ったのは、今回が初めてでしたが、長丁場であることもあり、なかなかしんどかったですね。
はじめは天気が悪かったのですが、次第に安定してきて、3日目、4日目は雨に降られずにすみました。2日目も午前中は晴れていて、すばらしい展望が得られました。北アルプスのど真ん中といっても良いこの場所は、やはり別天地です。
一番上の写真は、祖父岳への登りで撮った雲ノ平です。右後ろの山は薬師岳です。
次の写真は、雲ノ平で撮ったチングルマの綿毛の写真です。綿毛に無数の水滴が付いて、宝石のようでした。
最後の写真は、祖父だけ山頂から撮った槍穂高連峰です。手前のコルにある小屋は、三俣蓮華の小屋です。
サイズが小さいですが、NPO法人山仲間アルプのサイトに写真がたくさんありますので、ぜひそちらもご覧ください。
2011年08月04日
蝶ヶ岳登頂そして次は雲ノ平へ
先週末から今週初めにかけて、山仲間アルプの自然と親しむ子ども山登り教室で、蝶ヶ岳に行ってきました。
ちょっと心配もありましたが、子どもたちは雨にも負けず、元気に登頂し、一回りもふた回りも成長したのではないでしょうか?
NPO法人山仲間アルプのサイトに、詳しい報告と写真集がありますので、ぜひご覧ください。
左上の写真は、蝶ヶ岳山頂付近で見たブロッケンです。よく見ると、二重のブロッケンになっています。
右の写真は、二重になっているのがはっきり分かると思います。こんな二重のブロッケンは、はじめて見ました。
左下の写真は、明神の近くで見たコムラサキです。とてもきれいな蝶でした。
さて、今週末からは、今年、最も長丁場となる雲ノ平です。富山県側の太郎平から入り、野口五郎岳を経て、ブナ立ち尾根を下るコースです。視覚障害者の人たちもいつもと同じく一緒なので、気を付けて行ってきます。
ちょっと心配もありましたが、子どもたちは雨にも負けず、元気に登頂し、一回りもふた回りも成長したのではないでしょうか?
NPO法人山仲間アルプのサイトに、詳しい報告と写真集がありますので、ぜひご覧ください。
左上の写真は、蝶ヶ岳山頂付近で見たブロッケンです。よく見ると、二重のブロッケンになっています。
右の写真は、二重になっているのがはっきり分かると思います。こんな二重のブロッケンは、はじめて見ました。
左下の写真は、明神の近くで見たコムラサキです。とてもきれいな蝶でした。
さて、今週末からは、今年、最も長丁場となる雲ノ平です。富山県側の太郎平から入り、野口五郎岳を経て、ブナ立ち尾根を下るコースです。視覚障害者の人たちもいつもと同じく一緒なので、気を付けて行ってきます。
2011年07月26日
被災地で介護など
毎週、週末は山ですし、平日はホームページ更新と在宅介護の仕事があるため、全く余裕がないのですが、今度のお盆は、山の計画を入れていなかったため、被災された方の力になりたいと思っていました。
それが、ようやく実現することになりました。
石巻市の避難所で暮らす方々の、介護や生活支援を行ってきます。できれば、その傍ら、被災された方の話にしっかりと耳を傾けてきたいと思います。
1回行って、終わりになってしまうかもしれませんが、とにかくかなり長期での支援が必要な大災害でしたので、機会があれば、2回目も考えたいと思っています。
私には、遊びが必要ないというよりも、すべてが楽しいことなので、今回もいろんなことを学べる機会なので、わくわくする気持ちでいっぱいです。
それが、ようやく実現することになりました。
石巻市の避難所で暮らす方々の、介護や生活支援を行ってきます。できれば、その傍ら、被災された方の話にしっかりと耳を傾けてきたいと思います。
1回行って、終わりになってしまうかもしれませんが、とにかくかなり長期での支援が必要な大災害でしたので、機会があれば、2回目も考えたいと思っています。
私には、遊びが必要ないというよりも、すべてが楽しいことなので、今回もいろんなことを学べる機会なので、わくわくする気持ちでいっぱいです。