2011年10月23日
理想の姿はひとりひとりの心に描くもの
私も、いろんなことに関わり、いろんな人と接しているのですが、いろんな考え方があるものだな~と、つくづく思います。
たとえばの話なのですが、ものごとの理想の姿を、みんなで考えて共有しようという考えの方もいるようです。
当然、そのように思うことは、決して悪いことではないし、自由なのですが、私にはどうしても、そういうことは無理な気がしますし、少なくても、私には絶対にできないことです。
なぜなら、理想というのは、ひとりひとり違って当たり前だし、「世界に一つだけの花」ではないけど、違ってこそ価値があると思うんですね。
そもそも、理想像なんて、みんなが違っているのだから、それを合わせるためには、自分の理想を曲げなければならないわけで、必ず妥協することになりますよね。それだけで、もう理想像ではなくなるんです。
私の理想像は、市民活動が活性化することでも、行政がいろんなことをしてくれることでもありません。
すべての人が幸せになることが理想です。みんなが幸せになり、人のことを自分のことと同じように、尊重し、大切にすることができる心の豊かさを持てれば、規則も法律もいらなくなります。さらにいえば、国もなくて良くなります。
国境も規則もなく、誰もが当たり前のこととして、人のことを思い、大切にする社会になることが理想なので、形の上では、「国がなくなることが理想だ」と言いたいんですよね。
ただ、その理想にはほど遠い世の中ですし、人は心が弱いから、人よりも自分を守ろうとするし、ねたんだり、嫉妬したり、怒ったり、奪い取ろうとしたりしてしまうんですよね。そんな理想とほど遠い社会だから、国が必要になり、法律が必要になり、NPOが必要になるんですね。すべては妥協の産物です。
だから、理想を共有するなんて意味がないし、無理だと思うのです。
たとえばの話なのですが、ものごとの理想の姿を、みんなで考えて共有しようという考えの方もいるようです。
当然、そのように思うことは、決して悪いことではないし、自由なのですが、私にはどうしても、そういうことは無理な気がしますし、少なくても、私には絶対にできないことです。
なぜなら、理想というのは、ひとりひとり違って当たり前だし、「世界に一つだけの花」ではないけど、違ってこそ価値があると思うんですね。
そもそも、理想像なんて、みんなが違っているのだから、それを合わせるためには、自分の理想を曲げなければならないわけで、必ず妥協することになりますよね。それだけで、もう理想像ではなくなるんです。
私の理想像は、市民活動が活性化することでも、行政がいろんなことをしてくれることでもありません。
すべての人が幸せになることが理想です。みんなが幸せになり、人のことを自分のことと同じように、尊重し、大切にすることができる心の豊かさを持てれば、規則も法律もいらなくなります。さらにいえば、国もなくて良くなります。
国境も規則もなく、誰もが当たり前のこととして、人のことを思い、大切にする社会になることが理想なので、形の上では、「国がなくなることが理想だ」と言いたいんですよね。
ただ、その理想にはほど遠い世の中ですし、人は心が弱いから、人よりも自分を守ろうとするし、ねたんだり、嫉妬したり、怒ったり、奪い取ろうとしたりしてしまうんですよね。そんな理想とほど遠い社会だから、国が必要になり、法律が必要になり、NPOが必要になるんですね。すべては妥協の産物です。
だから、理想を共有するなんて意味がないし、無理だと思うのです。
Posted by アルプ at 23:08│Comments(0)
│雑記
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