2007年08月08日
信じることの大切さ
数年前、その子は、小学3年生でした。
先頭で山を歩く私の前に来て、私に抱きつくのです。背が低いから、腕は腰の当たりを持っています。そのままぶら下がっているのです。私は歩かないわけにはいかないので、足を広げ、その子の肩を持ち、引きずるようにして歩きました。石がゴロゴロする山道ですから、私が手を離してしまったら、その子は地面に頭をたたきつけられ大きな怪我をしてしまいます。その子は、そうなってしまうことだって知っているはずです。
この子をみなさんはどう思いますか? わがままな子どもだと思う人も多いのではないかと思うのです。でも私は、ルンルンに喜んで、無条件で私を信じているその子を、すばらしい子どもだなと思いました。無条件で信じられたら、絶対に裏切ることはできないですよね。私は、その子から人を信じるというとても大切なことを学びました。この子を育てた、ご両親は本当にすばらしい人たちなんだと思います。
その子が、5年生になって、先日一緒に山に登りました。その子にとって、はじめての山小屋泊まりで、最も高い山への挑戦でした。山に向かう電車の中では、とぎれることなく話が弾んでいたのですが、山の中は班行動でした。私や同年代の子どもと分かれたその子は、静かにもくもくと登り、そして下りてきました。もう登山終了のゴールも近い頃、同年代の子が掴まえたトカゲを見せてあげようと前の班に来ました。その子と同年代の子、そして30代の男性と私の4人は、それから一緒に下りました。それからその子は、水を得た魚のように、いろんなことを話し始めて、後で見ていたお姉さんは、4人の後姿から楽しさがあふれていて、ほほえましかったと言ってくださいました。
私は、このときもその子から大切なことを学びました。その子は、今回のメンバーの中に大切な人が二人いると言うのです。1人はお母さんで誰もが納得ですが、もう一人が誰なのか、あとの3人は興味津々です。3人のうちの誰かかなと思ったのですが、答えはその子自身でした。その時は、3人ともだまされたという気持ちだったのですが、私は昨日、新聞の切り抜きを見てハッとしました。援助交際をする子どもの声を聞いた記事が載っていたのです。そのような子どもたちは、欲しいものを手に入れたいからと言う軽い気持ちで足を踏み込んでしまうのですが、もっと良く聞いてみると、その子たちからは、「私なんていてもいなくてもどうでも良いんだ」というような自暴自棄の言葉が出てくるそうです。親から愛されてこなかったからなのでしょうね。
一緒に山に登るその子は、自分を愛し、親を愛するという、最も大切で基本的なことをしっかりと身につけているんだなと強く感じました。ご両親の深い愛情のたまものであることは間違いありません。
「わがままな子」という評価しかできない人には見えないかも知れませんが、私には、ご両親の深い愛情と、自分の気持ちを素直に出せるその子に、将来、どんな大人に育っていくのだろうかという大きな希望を持たせてもらえるように思います。
写真は、この前の燕岳で撮影したムカゴトラノオです。地味な花で、お世辞にもきれいとはいえないのですが、それは偏見だったなと改めて感じました。近づいて花の一つ一つをよく見てみると、こんなにもきれいだったのですね。全ての「もの」や「こと」は、一つの方向から見るだけでは絶対に足りないですね。
先頭で山を歩く私の前に来て、私に抱きつくのです。背が低いから、腕は腰の当たりを持っています。そのままぶら下がっているのです。私は歩かないわけにはいかないので、足を広げ、その子の肩を持ち、引きずるようにして歩きました。石がゴロゴロする山道ですから、私が手を離してしまったら、その子は地面に頭をたたきつけられ大きな怪我をしてしまいます。その子は、そうなってしまうことだって知っているはずです。
この子をみなさんはどう思いますか? わがままな子どもだと思う人も多いのではないかと思うのです。でも私は、ルンルンに喜んで、無条件で私を信じているその子を、すばらしい子どもだなと思いました。無条件で信じられたら、絶対に裏切ることはできないですよね。私は、その子から人を信じるというとても大切なことを学びました。この子を育てた、ご両親は本当にすばらしい人たちなんだと思います。
その子が、5年生になって、先日一緒に山に登りました。その子にとって、はじめての山小屋泊まりで、最も高い山への挑戦でした。山に向かう電車の中では、とぎれることなく話が弾んでいたのですが、山の中は班行動でした。私や同年代の子どもと分かれたその子は、静かにもくもくと登り、そして下りてきました。もう登山終了のゴールも近い頃、同年代の子が掴まえたトカゲを見せてあげようと前の班に来ました。その子と同年代の子、そして30代の男性と私の4人は、それから一緒に下りました。それからその子は、水を得た魚のように、いろんなことを話し始めて、後で見ていたお姉さんは、4人の後姿から楽しさがあふれていて、ほほえましかったと言ってくださいました。
私は、このときもその子から大切なことを学びました。その子は、今回のメンバーの中に大切な人が二人いると言うのです。1人はお母さんで誰もが納得ですが、もう一人が誰なのか、あとの3人は興味津々です。3人のうちの誰かかなと思ったのですが、答えはその子自身でした。その時は、3人ともだまされたという気持ちだったのですが、私は昨日、新聞の切り抜きを見てハッとしました。援助交際をする子どもの声を聞いた記事が載っていたのです。そのような子どもたちは、欲しいものを手に入れたいからと言う軽い気持ちで足を踏み込んでしまうのですが、もっと良く聞いてみると、その子たちからは、「私なんていてもいなくてもどうでも良いんだ」というような自暴自棄の言葉が出てくるそうです。親から愛されてこなかったからなのでしょうね。
一緒に山に登るその子は、自分を愛し、親を愛するという、最も大切で基本的なことをしっかりと身につけているんだなと強く感じました。ご両親の深い愛情のたまものであることは間違いありません。
「わがままな子」という評価しかできない人には見えないかも知れませんが、私には、ご両親の深い愛情と、自分の気持ちを素直に出せるその子に、将来、どんな大人に育っていくのだろうかという大きな希望を持たせてもらえるように思います。
写真は、この前の燕岳で撮影したムカゴトラノオです。地味な花で、お世辞にもきれいとはいえないのですが、それは偏見だったなと改めて感じました。近づいて花の一つ一つをよく見てみると、こんなにもきれいだったのですね。全ての「もの」や「こと」は、一つの方向から見るだけでは絶対に足りないですね。
Posted by アルプ at 18:54│Comments(0)
│子ども
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