2008年10月16日
日本を救う子どもたち?
「この子供たちが日本を救う!」という本を読んでみました。
この本は、千葉県内の小学校から高校に通う子供たちから寄せられた1000を越える作文の中から、厳選したものをまとめた本です。最初に感じたことは、この本のタイトルの問題点です。
なぜ、「この」が付くのでしょうか? 「この」が付くことで、この本に掲載されなかった子どもたちの中には、「どうせ俺は日本なんて救えないんだよ」とひねくれてしまう子どもがでてくるのではないかと思います。それだけではなく、作文を書かなかった子どもでさえも、きっと「どうせ俺なんて」と思うこともあると思います。多くの子供たちは、そんなことなど気にも留めないでしょうが、1割から2割くらいの子どもたちは、疎外感を感じると思います。だから、「この」ではなくて「多くの」と付けるべきだったのではないかと思います。
ただし、中に書かれている子どもたちの声はすばらしいですし、最後に大人からのメッセージも掲載されていますが、その中にも、一部その通りだなと思うものもありました。
子どもの文章の中で一番印象に残ったのは、ある高校3年生の女の子が、自分の母親を紹介する時に書いていた、おばさんからいわれたこんな言葉です。「あんたが死刑になるぐらいのことをしても、あんたのお母さんだけは味方でいてくれる。あんたを見捨てたりなんて絶対しない。それぐらいあんたのこと、大切なんだからね。」と。それを聞いた女の子は、その場に泣き崩れたということです。
自分の子どもを、無条件で、絶対的な愛情で包み込む。これこそ、親の真の愛情です。この愛情があれば、子どもは絶対に犯罪など起こしません。人を信じることを身につけます。人をいじめることもないはずです。この愛情を忘れてしまっている親が、多いのが昨今ではないでしょうか?
また、あるお父さんが、「誰もわかってくれない」というタイトルで、子どもの友人が、退学処分になったことを書いています。その友人は、ある下級生を生意気だということで殴ってしまったのだそうです。その子は過去に、停学になった前科があるために、先生方は、本人の気持ちを考えずに、相手側やまわりの言動、実際の行為だけの判断で、退学させてしまったそうです。その子は、自分のしたことを反省しているし、このまま学校にいさせて欲しいと思っていたのですが、学校側は聞く耳を持たず、退学を決めてしまったそうです。
お父さんは、その子は、とても素直な子どもだと感じていたそうです。学校側の、学校にとってマイナスになる子どもは切って捨てるというその行動に、一人の子どもの大切な人生が大きく狂ってしまうことが許せないと書いています。その子どもは、「俺の気持ちを誰も分かってくれない」と学校を去っていったそうです。この子が、このお父さんのように、信じてくれる人がいること、世の中には、他にも信じることのできる人がいることを、どこかで感じて、新しい道を切り開いていってもらいたいなと思います。
じつは、私もこんなことがありました。ある団地に住む、障害を持つ男性に、困っているという話を聞きました。その男性が、階段で倒れていたり、汚物を吐いてしまったりして困るというのです。彼の身内に引き取ってもらいたいと言うのですが、彼には身内はありません。両親も若いうちに亡くなっています。
私は、そんなに困っているのなら、彼と話をしたらよいのではないですか?と言ったのですが、その人は、自分を含めてその棟の人は関わりたくないの一点張りでした。自分たちが苦労を背負い込みたくないから、他の人に対策させよう、どこかに連れて行ってもらおうという腹なのです。
彼は、入れ墨もしていますが、おかしな人の出入りはないようですし、部屋は汚くても仏壇はきれいですし、両親の写真もきれいに備えてあります。体は不自由ですし、頭が痛むこともしばしばです。お金もありません。しかし、決して話の分からない人ではありません。ただ、そこに住む人たちが、自分のことだけしか考えていないだけです。助け合いの気持ちも何もない。
人は、孤独感や疎外感が強くなって、こらえられる限界を超えた時、犯罪に走ってしまうことが多いと思います。ここに住む人たちが、困っている人をみんなで支えていこうという心を持っている人たちだったら、決して犯罪なども起きないはずです。面倒なことには関わりたくない、自分たちだけが大事だ。不安な人間は排除しようという気持ちを、持っている人たちの社会には、どうしても犯罪が忍び寄ります。犯罪を作っているのは、自分たちなんだと気づかない限り、いつか過ちが起こってしまうような気がしてなりません。
退学させられた子どもの気持ちと間違いなくつながっていますよね。退学させられた子どもよりも、一対一の話し合いを避けて、先生や大人という相手よりも強いものを使って、気に入らない人間を排除してしまった子どもの方が遙かにこれからの人生が心配です。ですが、こういう子どもはしっかりした大学を出て、形の上で社会から認められた人生を歩むことでしょう。そして、気に入らない奴がいたら、自分の手を汚さずに排除する方法を考えつくことでしょう。
心を大切にする社会であって欲しいと願わずにはいられません。
この本は、千葉県内の小学校から高校に通う子供たちから寄せられた1000を越える作文の中から、厳選したものをまとめた本です。最初に感じたことは、この本のタイトルの問題点です。
なぜ、「この」が付くのでしょうか? 「この」が付くことで、この本に掲載されなかった子どもたちの中には、「どうせ俺は日本なんて救えないんだよ」とひねくれてしまう子どもがでてくるのではないかと思います。それだけではなく、作文を書かなかった子どもでさえも、きっと「どうせ俺なんて」と思うこともあると思います。多くの子供たちは、そんなことなど気にも留めないでしょうが、1割から2割くらいの子どもたちは、疎外感を感じると思います。だから、「この」ではなくて「多くの」と付けるべきだったのではないかと思います。
ただし、中に書かれている子どもたちの声はすばらしいですし、最後に大人からのメッセージも掲載されていますが、その中にも、一部その通りだなと思うものもありました。
子どもの文章の中で一番印象に残ったのは、ある高校3年生の女の子が、自分の母親を紹介する時に書いていた、おばさんからいわれたこんな言葉です。「あんたが死刑になるぐらいのことをしても、あんたのお母さんだけは味方でいてくれる。あんたを見捨てたりなんて絶対しない。それぐらいあんたのこと、大切なんだからね。」と。それを聞いた女の子は、その場に泣き崩れたということです。
自分の子どもを、無条件で、絶対的な愛情で包み込む。これこそ、親の真の愛情です。この愛情があれば、子どもは絶対に犯罪など起こしません。人を信じることを身につけます。人をいじめることもないはずです。この愛情を忘れてしまっている親が、多いのが昨今ではないでしょうか?
また、あるお父さんが、「誰もわかってくれない」というタイトルで、子どもの友人が、退学処分になったことを書いています。その友人は、ある下級生を生意気だということで殴ってしまったのだそうです。その子は過去に、停学になった前科があるために、先生方は、本人の気持ちを考えずに、相手側やまわりの言動、実際の行為だけの判断で、退学させてしまったそうです。その子は、自分のしたことを反省しているし、このまま学校にいさせて欲しいと思っていたのですが、学校側は聞く耳を持たず、退学を決めてしまったそうです。
お父さんは、その子は、とても素直な子どもだと感じていたそうです。学校側の、学校にとってマイナスになる子どもは切って捨てるというその行動に、一人の子どもの大切な人生が大きく狂ってしまうことが許せないと書いています。その子どもは、「俺の気持ちを誰も分かってくれない」と学校を去っていったそうです。この子が、このお父さんのように、信じてくれる人がいること、世の中には、他にも信じることのできる人がいることを、どこかで感じて、新しい道を切り開いていってもらいたいなと思います。
じつは、私もこんなことがありました。ある団地に住む、障害を持つ男性に、困っているという話を聞きました。その男性が、階段で倒れていたり、汚物を吐いてしまったりして困るというのです。彼の身内に引き取ってもらいたいと言うのですが、彼には身内はありません。両親も若いうちに亡くなっています。
私は、そんなに困っているのなら、彼と話をしたらよいのではないですか?と言ったのですが、その人は、自分を含めてその棟の人は関わりたくないの一点張りでした。自分たちが苦労を背負い込みたくないから、他の人に対策させよう、どこかに連れて行ってもらおうという腹なのです。
彼は、入れ墨もしていますが、おかしな人の出入りはないようですし、部屋は汚くても仏壇はきれいですし、両親の写真もきれいに備えてあります。体は不自由ですし、頭が痛むこともしばしばです。お金もありません。しかし、決して話の分からない人ではありません。ただ、そこに住む人たちが、自分のことだけしか考えていないだけです。助け合いの気持ちも何もない。
人は、孤独感や疎外感が強くなって、こらえられる限界を超えた時、犯罪に走ってしまうことが多いと思います。ここに住む人たちが、困っている人をみんなで支えていこうという心を持っている人たちだったら、決して犯罪なども起きないはずです。面倒なことには関わりたくない、自分たちだけが大事だ。不安な人間は排除しようという気持ちを、持っている人たちの社会には、どうしても犯罪が忍び寄ります。犯罪を作っているのは、自分たちなんだと気づかない限り、いつか過ちが起こってしまうような気がしてなりません。
退学させられた子どもの気持ちと間違いなくつながっていますよね。退学させられた子どもよりも、一対一の話し合いを避けて、先生や大人という相手よりも強いものを使って、気に入らない人間を排除してしまった子どもの方が遙かにこれからの人生が心配です。ですが、こういう子どもはしっかりした大学を出て、形の上で社会から認められた人生を歩むことでしょう。そして、気に入らない奴がいたら、自分の手を汚さずに排除する方法を考えつくことでしょう。
心を大切にする社会であって欲しいと願わずにはいられません。
Posted by アルプ at 22:09│Comments(2)
│書籍紹介
この記事へのコメント
う~~ん
世の中ギスギスしているように感じていたけど何となく解ったような気がします。
良い話を聞かせて貰いありがとう。
世の中ギスギスしているように感じていたけど何となく解ったような気がします。
良い話を聞かせて貰いありがとう。
Posted by そら at 2008年10月23日 22:40
そらさん、コメントありがとうございます。
文章に表現することは難しくて、全てを言えているわけではありません。
絶対という言葉を使ってしまっていますが、絶対なんてことは決してありません。
また、関わろうとしない人の気持ちも、良く分かります。ただ、やっぱり、そんな気持ちの人が増えれば増えるほど、住みにくい社会になるように思います。
文章に表現することは難しくて、全てを言えているわけではありません。
絶対という言葉を使ってしまっていますが、絶対なんてことは決してありません。
また、関わろうとしない人の気持ちも、良く分かります。ただ、やっぱり、そんな気持ちの人が増えれば増えるほど、住みにくい社会になるように思います。
Posted by アルプ at 2008年10月27日 10:41
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