2008年07月16日
ポジティブとネガティブ
以前書いたことがあるかも知れませんが、劣等感や優越感の話です。
もう10年以上前のことですが、山に登った帰りの電車の中で、ある視覚障害をもつ中学生と話をしていたことがあります。
私は彼に、「なぜ、人には高い低いや、大きい小さい、頭が良い悪いなどの差があると思う?」と聞いたことがあります。中学生は、分からないと答えました。私は、「人と差があることで、優越感を持ったり、劣等感を持ったりするだろう? そういう気持ちを持つことが大切なことだから、自然は差を付けているんだよ。だって、劣等感を持ったことのない人は、劣等感に苦しむ人の気持ちが分からないだろう。優越感だって、同じさ。」と言いました。彼は、「あー、そうか」と納得していました。
わが子が劣等感で苦しんでいる時、親御さんは子どもにどんな声かけをしますか?
私が思うところでは、子どものことを考えて、優しく「そんなに気にしなくて良いよ。あなたには、こんな良い長所があるのだから、自信を持ちなさい」と言うことが多いのではないかと思うのです。(私の単なる思い過ごしかも知れませんが?)
このように言われた子どもは、親の言葉に勇気づけられて、「そうだ。自分は自信を持って良いのだ」と思うことでしょう。これで、うまくいくケースも相当多いのではないかと思います。しかし、このことで、逆に傷つく子どももいそうだと私には思えるのです。
親に言われて、「自分は自信を持って良いのだ」とその時は思っても、またしばらくすると、友だちから指摘された言葉が頭に浮かび、劣等感が気持ちを支配するようになります。そして、沈んでいると、親から「あれ、また考えているの。あなたにはすばらしい長所があるのだから、それを考えて、元気を出して」と励まされます。子どもは、笑顔を作って、親の期待に応えます。
しかし、劣等感を持ってしまった子どもは、そのことを忘れられない自分をダメな人間なんだなと感じ始めます。なぜなら、親は、「気にしなくても良い」という言い方しかしていないため、「劣等感=悪い考え方」だから、忘れなければならないのだと感じてしまうのです。だけど、親の言うような強い子になれなくて、「悪い考え方しかできないダメな自分がいるんだ」ということを気にして、落ち込み続けてしまうのです。
親の言葉をもう一度、振り返ってみましょう。
「そんなに気にしなくて良いよ。あなたには、こんな良い長所があるのだから、自信を持ちなさい」
この言葉は、一見すると、ポジティブな前向き意見に思えます。しかし、「劣等感」に対しては、ネガティブな評価しかしていないのです。「気にしなくても良い」ということは、「劣等感は捨てなさい」と言っていることと同じです。子どもは、劣等感を捨てられない自分をネガティブに感じてしまうのではないでしょうか?
それよりも、私は実際にそうだと思うのですが、劣等感を持つことは大切なことだし、人の心の痛みを分かるようになる大切な第一歩だと思います。だから、劣等感を持った子どもには、「すばらしい体験をしているね。今の気持ちを忘れずに持っているんだよ。その気持ちを持つことによって、他にも苦しんでいる人の気持ちが分かるようになるんだよ。成長のためのすばらしい第一歩を歩き始めたんだ。今日はお祝いしようか?」というようなことを言うと思うし、自分自身、心からそうだと思うのです。
以前、脳性麻痺の方の食事介助をしていたことがあるのですが、その方が「今年は辛い1年だった」と言うので、「何かあったのですか?」と聞いたら、しばらくしてから言うことに決めたようで、「アルプさんに言うのが3人目だ」と言って、失恋した話をしてくれたのです。それを聞いて、私は「そうですか。辛いことかも知れないけど、すばらしい体験をできて良かったですね。人を恋し、そして失恋をするという体験は、どんなにお金があったってできないことです。その経験をしないまま、一生を過ぎるよりも、そんな経験をして苦しんだ方が、その後の人生は必ず豊かになるはずですよ。」というようなことを言いました。
これらは、ほんの一例ですが、ポジティブのつもりで言ったことが、子ども(大人でも同じです)には、ネガティブに受け取られて、気持ちが通じ合えないまま、時を過ごすことは意外に多いのではないでしょうか?
何気なく、当たり前に考えていることの中に、落とし穴があることって、意外に多いのではないかなと感じますが、みなさんはどう思いますか?
もう10年以上前のことですが、山に登った帰りの電車の中で、ある視覚障害をもつ中学生と話をしていたことがあります。
私は彼に、「なぜ、人には高い低いや、大きい小さい、頭が良い悪いなどの差があると思う?」と聞いたことがあります。中学生は、分からないと答えました。私は、「人と差があることで、優越感を持ったり、劣等感を持ったりするだろう? そういう気持ちを持つことが大切なことだから、自然は差を付けているんだよ。だって、劣等感を持ったことのない人は、劣等感に苦しむ人の気持ちが分からないだろう。優越感だって、同じさ。」と言いました。彼は、「あー、そうか」と納得していました。
わが子が劣等感で苦しんでいる時、親御さんは子どもにどんな声かけをしますか?
私が思うところでは、子どものことを考えて、優しく「そんなに気にしなくて良いよ。あなたには、こんな良い長所があるのだから、自信を持ちなさい」と言うことが多いのではないかと思うのです。(私の単なる思い過ごしかも知れませんが?)
このように言われた子どもは、親の言葉に勇気づけられて、「そうだ。自分は自信を持って良いのだ」と思うことでしょう。これで、うまくいくケースも相当多いのではないかと思います。しかし、このことで、逆に傷つく子どももいそうだと私には思えるのです。
親に言われて、「自分は自信を持って良いのだ」とその時は思っても、またしばらくすると、友だちから指摘された言葉が頭に浮かび、劣等感が気持ちを支配するようになります。そして、沈んでいると、親から「あれ、また考えているの。あなたにはすばらしい長所があるのだから、それを考えて、元気を出して」と励まされます。子どもは、笑顔を作って、親の期待に応えます。
しかし、劣等感を持ってしまった子どもは、そのことを忘れられない自分をダメな人間なんだなと感じ始めます。なぜなら、親は、「気にしなくても良い」という言い方しかしていないため、「劣等感=悪い考え方」だから、忘れなければならないのだと感じてしまうのです。だけど、親の言うような強い子になれなくて、「悪い考え方しかできないダメな自分がいるんだ」ということを気にして、落ち込み続けてしまうのです。
親の言葉をもう一度、振り返ってみましょう。
「そんなに気にしなくて良いよ。あなたには、こんな良い長所があるのだから、自信を持ちなさい」
この言葉は、一見すると、ポジティブな前向き意見に思えます。しかし、「劣等感」に対しては、ネガティブな評価しかしていないのです。「気にしなくても良い」ということは、「劣等感は捨てなさい」と言っていることと同じです。子どもは、劣等感を捨てられない自分をネガティブに感じてしまうのではないでしょうか?
それよりも、私は実際にそうだと思うのですが、劣等感を持つことは大切なことだし、人の心の痛みを分かるようになる大切な第一歩だと思います。だから、劣等感を持った子どもには、「すばらしい体験をしているね。今の気持ちを忘れずに持っているんだよ。その気持ちを持つことによって、他にも苦しんでいる人の気持ちが分かるようになるんだよ。成長のためのすばらしい第一歩を歩き始めたんだ。今日はお祝いしようか?」というようなことを言うと思うし、自分自身、心からそうだと思うのです。
以前、脳性麻痺の方の食事介助をしていたことがあるのですが、その方が「今年は辛い1年だった」と言うので、「何かあったのですか?」と聞いたら、しばらくしてから言うことに決めたようで、「アルプさんに言うのが3人目だ」と言って、失恋した話をしてくれたのです。それを聞いて、私は「そうですか。辛いことかも知れないけど、すばらしい体験をできて良かったですね。人を恋し、そして失恋をするという体験は、どんなにお金があったってできないことです。その経験をしないまま、一生を過ぎるよりも、そんな経験をして苦しんだ方が、その後の人生は必ず豊かになるはずですよ。」というようなことを言いました。
これらは、ほんの一例ですが、ポジティブのつもりで言ったことが、子ども(大人でも同じです)には、ネガティブに受け取られて、気持ちが通じ合えないまま、時を過ごすことは意外に多いのではないでしょうか?
何気なく、当たり前に考えていることの中に、落とし穴があることって、意外に多いのではないかなと感じますが、みなさんはどう思いますか?