2010年06月24日
社会的ひきこもり他
ひきこもり関係の本を読んでいるのですが、最初に大きな影響を与えた、精神科医、斎藤環(さいとうたまき)さんの「社会的ひきこもり」をまず読み、続いて、同じく斎藤さんの「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」という本を読んでみました。
「社会的ひきこもり」は、いろんなノウハウをまとめていて、大変参考になりました。ですので、図書館から借りて読んだ後、アマゾンで中古品を購入しました。これから、いろいろと参考にしながら考えてみたいと思っています。
「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」は、精神分析的アプローチということで、ラカンやコフートなどの精神分析家の理論を中心に解説しています。このような理論は、なかなか取っつきにくいのですが、主に精神科医や親が、実際の臨床の際にその裏付けとして知っておいた方がよいということで、書かれたようです。
読んでみても、頭に残っていることはわずかなので、あまり今後に役に立たないかもしれませんが、やはり読んでみればいろいろと参考になることはあります。
中でも、この本のタイトルに書かれている「治る」ですが、みなさんはどんな状態を「治った」と言えると思いますか? 家にいないで、外に出られるようになったことが「治った」と言えるでしょうか? 仕事に就けるようになったことが「治った」と言えるでしょうか?
外に出たり、仕事ができるようになることは、確かに大きな変化ですし、両親も本人もそれを望んでいると思います。しかし、それが無理をして行ったものだとしたら、結局、振り出しに戻ってしまうこともあります。
この本には、(「治る」ということは、「自由」になるということ)と書かれています。「働かなければならない」、「人としっかりとコミュニケーションをしなければならない」という固定観念に縛られていると、「働けない自分はだめな人間だ」、「彼女もいない自分はだめな人間だ」、「自分がこうなったのは親のせいだ」というようなネガティブな気持ちで自分を追いつめてしまいます。
「自由」になるということは、さまざまな束縛から解き放たれ、あるがままの自分をそのまま認められるようになるということではないかと思います。
休みたいときには休み、動きたくなったら動き、働きたくなったら働き、落ち込んだときには落ち込んでいる、そんな自分をそのまま認めることが、自由なのではないかと思います。
このことは、決してひきこもりの人だけでなく、子どもたちもそうですし、すべての人が自由な気持ちを大切にすることが、幸せへとつながっていくように思います。
「自由」なんて、わがままなだけではないかという人もいるかと思います。しかし、人は、わがままを受け入れてもらえて、はじめて感謝の気持ちをもてるようになりますし、人のわがままも受け入れてあげようという気持ちになります。それは、思いやりの気持ちではないでしょうか?
引きこもる人たちのエネルギーが、自由に解き放たれた気持ちに素直に動き出したとき、きっと新しい何かが生まれるような気がします。
「社会的ひきこもり」は、いろんなノウハウをまとめていて、大変参考になりました。ですので、図書館から借りて読んだ後、アマゾンで中古品を購入しました。これから、いろいろと参考にしながら考えてみたいと思っています。
「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」は、精神分析的アプローチということで、ラカンやコフートなどの精神分析家の理論を中心に解説しています。このような理論は、なかなか取っつきにくいのですが、主に精神科医や親が、実際の臨床の際にその裏付けとして知っておいた方がよいということで、書かれたようです。
読んでみても、頭に残っていることはわずかなので、あまり今後に役に立たないかもしれませんが、やはり読んでみればいろいろと参考になることはあります。
中でも、この本のタイトルに書かれている「治る」ですが、みなさんはどんな状態を「治った」と言えると思いますか? 家にいないで、外に出られるようになったことが「治った」と言えるでしょうか? 仕事に就けるようになったことが「治った」と言えるでしょうか?
外に出たり、仕事ができるようになることは、確かに大きな変化ですし、両親も本人もそれを望んでいると思います。しかし、それが無理をして行ったものだとしたら、結局、振り出しに戻ってしまうこともあります。
この本には、(「治る」ということは、「自由」になるということ)と書かれています。「働かなければならない」、「人としっかりとコミュニケーションをしなければならない」という固定観念に縛られていると、「働けない自分はだめな人間だ」、「彼女もいない自分はだめな人間だ」、「自分がこうなったのは親のせいだ」というようなネガティブな気持ちで自分を追いつめてしまいます。
「自由」になるということは、さまざまな束縛から解き放たれ、あるがままの自分をそのまま認められるようになるということではないかと思います。
休みたいときには休み、動きたくなったら動き、働きたくなったら働き、落ち込んだときには落ち込んでいる、そんな自分をそのまま認めることが、自由なのではないかと思います。
このことは、決してひきこもりの人だけでなく、子どもたちもそうですし、すべての人が自由な気持ちを大切にすることが、幸せへとつながっていくように思います。
「自由」なんて、わがままなだけではないかという人もいるかと思います。しかし、人は、わがままを受け入れてもらえて、はじめて感謝の気持ちをもてるようになりますし、人のわがままも受け入れてあげようという気持ちになります。それは、思いやりの気持ちではないでしょうか?
引きこもる人たちのエネルギーが、自由に解き放たれた気持ちに素直に動き出したとき、きっと新しい何かが生まれるような気がします。
Posted by アルプ at 18:12│Comments(0)
│心の話し
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