2010年06月17日
人と接すること
しばらくぶりです。
今月は、最初の週に仙ノ倉山に行き、先週は、子ども登山教室で、奥多摩の御前山に行って来ました。
写真は、仙ノ倉山の時に撮ったものです。平標山の手前から見た苗場山です。残雪のある山は、やっぱり美しいですね。苗場山は、まだ1回しか登ったことがありませんが、よい山なので、できればまた行きたいなと思います。
仙ノ倉山は、平標山ノ家周辺がちょうど高山植物の咲き始めでした。シラネアオイやアズマシャクナゲ、ショウジョウバカマなどなど、多くの花を楽しむことができました。
さて、話は変わりますが、今、ひきこもり支援相談士の勉強をしています。資格を取れるかどうかは分かりませんが、ひきこもっている人たちと接することは、非常に大きな勉強になると思います。
彼らの力になれたら、本当にうれしいと思いますが、自分にそんな力があるとも思えません。だけど、彼らと接することで、きっと生きることの意味や人の話を聞くということはどういうことなのか、自分自身の気持ちをどこまで相手に向けることができるかなどなど、計り知れないくらい多くの勉強をさせてもらえると思います。だから、決して無駄にはならないのです。
人は、相手の支援をするとき、相手の役に立たなければ意味がないと思い、なかなか現れない結果に、自信をなくしたり、自分を苦しめたりしてしまいます。
でも、結果を求めず、高望みもせず、自分の勉強になるということや、大きな経験をさせてもらえると思えば、自分を追い込んでしまうこともないと思います。
このことを一般的な言葉で言うと、何でも前向きに受け止めるということなのですが、前向きであるかどうかよりも、本人がどう思おうと、新しい経験ができることは事実ですから、それだけでよいのではないでしょうか?
人と接することは、とても多くの意味を持っていますね。
今月は、最初の週に仙ノ倉山に行き、先週は、子ども登山教室で、奥多摩の御前山に行って来ました。
写真は、仙ノ倉山の時に撮ったものです。平標山の手前から見た苗場山です。残雪のある山は、やっぱり美しいですね。苗場山は、まだ1回しか登ったことがありませんが、よい山なので、できればまた行きたいなと思います。
仙ノ倉山は、平標山ノ家周辺がちょうど高山植物の咲き始めでした。シラネアオイやアズマシャクナゲ、ショウジョウバカマなどなど、多くの花を楽しむことができました。
さて、話は変わりますが、今、ひきこもり支援相談士の勉強をしています。資格を取れるかどうかは分かりませんが、ひきこもっている人たちと接することは、非常に大きな勉強になると思います。
彼らの力になれたら、本当にうれしいと思いますが、自分にそんな力があるとも思えません。だけど、彼らと接することで、きっと生きることの意味や人の話を聞くということはどういうことなのか、自分自身の気持ちをどこまで相手に向けることができるかなどなど、計り知れないくらい多くの勉強をさせてもらえると思います。だから、決して無駄にはならないのです。
人は、相手の支援をするとき、相手の役に立たなければ意味がないと思い、なかなか現れない結果に、自信をなくしたり、自分を苦しめたりしてしまいます。
でも、結果を求めず、高望みもせず、自分の勉強になるということや、大きな経験をさせてもらえると思えば、自分を追い込んでしまうこともないと思います。
このことを一般的な言葉で言うと、何でも前向きに受け止めるということなのですが、前向きであるかどうかよりも、本人がどう思おうと、新しい経験ができることは事実ですから、それだけでよいのではないでしょうか?
人と接することは、とても多くの意味を持っていますね。
Posted by アルプ at 14:09│Comments(0)
│心の話し
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