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山好きが高じて、山を仕事にしています。
障害者も健常者も、心に悩みを抱える人も、そして子どもたちも、みんなで山を楽しみたいと思い、NPO法人「山仲間アルプ」を2003年4月に設立し、1年中、山を楽しんでいます。
一緒に山を楽しんでいただける方は、メールで連絡をお願いします。
プロフィール画像ですが、実は私は金峰山に住みつく鷹匠でした。>ウソウソ(^^ゞ
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Posted by naturum at

2015年01月30日

「子どもが見えない」の感想・その2

 友だちって何でしょうか?
 もう7年くらい前になるでしょうか?
 いじめ問題を扱う掲示板に、「友だちって何ですか?」という質問(らしき投稿)が中学生の女の子からありました。
 こんなおっさんなんだからよせば良いのに、我慢できなくて返答しました。
 「友だちというのは、こうあるべきだというように相手に求めるものではなくて、自分がこの人が友だちだと思ったら、その人が友だちだと思うよ」と書きました。

 古い人間だからなのかも知れないけれど、もう何十年も会っていない親友もいます。
 友だちは人間だけではないかな? 山も歌も友だちだと思います。なぜかって、自分になくてはならないものだから。


 「子どもが見えない」のPart2は、「友達との関係」です。

 お揃いのブランドもののファッションに身を包んだ小学6年生の2人連れ、2人に「親友なの?」と聞くと、「微妙な関係」という答え。お揃いの服を7着も揃え、よく互いの家に遊びに行く2人。でも、親友とは言えず、曖昧な返答しか返ってこない子どもたち。

 この章に登場する子どもたちは、全員が女の子でした。だから、もしかしたら30年くらい前から変わっていないのかも知れませんが、男の私から見ると、今の友達関係は、やはり疑問符を打たざるを得ませんでした。

 掲示板に寄せられた20の発言(女の子だけ)のほとんど全てが、実在の友達は信じられなくて、本音を出せないと思っていました。
 友達に思っていることなんて言えるわけがない。顔を合わせて何かを言って外されるのが怖い。友達には本音は言えない。友達なんて表では良いことを言っているけど、裏では何を思っているか分からない。人に嫌われたくないから、相手に合わせて自分を変えているうちに本当の自分が分からなくなってしまう女の子。友達とか親友って、みなさんにとって何ですか?という問い合わせに、友達や親友なんて存在しません。幼なじみは幼なじみでしかないし、仲良しは仲良しでしかないと答える子。気を使うことが毎日で、友達なんていらないんだけど、一人は寂しいから作るという子は、みんなが一人だったら私も友達を作らない。そして、こんなことを思う今の時代は普通なんだろうか?と。

 私には、多くの子どもたちが、何でも話すことができて、相談に乗ってくれる友達が欲しいのだと思います。でも、実際には、いじめられたくないから、仲間はずれにされたら寂しいから、嫌われたくないからという理由で、表面的に一緒にいるだけという感じがします。表面的でも一緒にいなければ仲間はずれにされる。本音を言えば、気まずい状態になり、今までの一緒にいる関係が崩れてしまう。そして、何でも本音で言えるのは、ネット上だけ。これが、今の子どもたちの世界なのでしょうか?

 男の子たちの世界も知りたいと思いますが、これほどまでに友達に気を許せないとすると、その原因はいったいどこにあるのでしょうか? 私には、どうしても分かりません。ただ、もしかしたら、大人の本音と建前が、幼いうちから子どもたちの心に浸透し、人に心を許すことができなくなったのでしょうか? それにしても、本音を言ったら、次の日から口も聞いてもらえなくなるというのは、あまりにも寂しい世界のように思います。人間関係の修復の仕方も知らないのでしょうね。

 こんな子どもたちの世界を、私たち大人は、どのように捉えたらよいのでしょうか? 大きな課題のように感じました。
  


Posted by アルプ at 21:04Comments(0)

2015年01月29日

「子どもが見えない」の感想・その1

 2005年5月、NHKが取材して出版した「子どもが見えない」という本を読んで、どこかのブログに掲載したのですが、忘れてしまったので、再度こちらに掲載します。

 先日の吉野弘さんの詩に触発され、掲載してみる気になりました。以下の感想文は、10年前のもので、私もまだ47歳でした。修正なしでそのまま掲載します。


 この本は、昨年6月に起こった佐世保市の小学6年生の女子児童が同級生を殺害した事件がきっかけとなり、NHKが掲示板に子供たちから意見を寄せてもらい、NHKスペシャルなどで取り上げたましたが、それらの内容をもとに編集されたものです。

 私には子どもがいませんが、子どもたちに起こっている問題は、決して子どもを持つ親御さんだけの問題ではないように思います。できれば、ぜひ多くの方にこの本を読んでいただいて、子どもたちの「魂の叫び」に耳を傾け、今、大人は何をしなければならないのかを考えていただきたいと思います。

 まだ、私自身、読み始めたばかりですが、これから少しずつ読み進めながら、こちらのブログに感想を連載していきたいと思います。とにかく、読み始めたばかりですが、この本からものすごく多くのことを学べそうですし、子どもたちの必死な叫びが聞こえてくるように感じています。

 今、子どもたちの多くがネット上でなければ、自分の気持ちを表現できないと感じているようです。実在の世界である学校の友達や先生、そして親には本当のことが言えないと感じています。自分の気持ちを分かってくれる友達には、40人しかいないクラスでは出会えないと言っている子や、毎日顔を合わせる友達は、何か相談したりすると翌日から気まずくなると言っている子もいます。先生や友達や親は私の気持ちに気づいてくれないと言う子もいます。

 そして、ネット上だと、自分が特定されていない分、本当の自分を出せると言っています。だから、佐世保の事件のようなことが起きると大変だからと言ってネットを規制しようとする大人は、ネットがなければ死んでしまうという子どもたちの気持ちを分かってくれていないと嘆いています。

 小学校3年生の女の子で、幼い頃から歌が好きで歌手になりたいとお母さんに希望を言うが、お母さんは将来を心配し、女の子の希望は認めてくれず、いつも否定するだけだったそうです。そしてその女の子は、お母さんにだんだん言いたいことが言えなくなったそうです。そんなとき、ネットで自分は音楽がやりたいと書き込むと、多くの人たちから、あなたの気持ちが分かるとか、私も同じ夢があるから頑張ってと、励ましの言葉をもらいます。そうやって、共感してくれる人がいるからますますネットに入り込んでいきます。

 このような言葉を読んで、今の子どもたちにとって、ネットはなくてはならない存在なんだなと改めて感じました。私も、子どもたちからネットを取り上げるようなことをしては絶対にいけないと思います。ただし、重要なことは、ネット以外の実在の世界に、もっともっと魅力をつけなければならないことだと思います。

 私の感じるところですが、小学3年生の女の子が歌手になりたいと言った時、お母さんの心配は分かりますが、こんな時は肯定してみてはどうでしょうか? 「そうか、歌手になりたいのか。どうやったら歌手になれるのか分からないからお母さんは何もアドバイスできないけど、これから一緒に勉強してみようか」と言って、一緒に考えてあげたら、子どもも喜ぶのではないでしょうか? そして、歌手になるためには、やはり基本的な学力を持っていなければならないし、たゆまない歌の練習も必要でしょう。そんな活動を通じて、努力の大切さや勉強の大切さを学んでいくのではないでしょうか? もしかしたら、そのような中から、自分で歌手になることの大変さを知り、自分の実力も知って、別な道を目指そうとすることもあるのではないでしょうか? そんなときも、歌手になろうと努力した時の気持ちは、きっとその子の心に残り、これからの人生に大きなプラスになっていくのではないでしょうか?

 また、この本の最初の部分に、大人に教えてもらいことはたくさんあると言う18歳の女の子の言葉が書かれていました。その子は、人間関係は大切ことなのだから、もし自分が友達を傷つけてしまったらどうしたらよいのかその対処法を教えて欲しいけど、そんな大切なことを大人は意外と教えてくれていないと言っています。みなさんは、どう言って教えてあげますか?

 この子に、「あの子を傷つけてしまったの。どうしたら良いんだろう」と質問されて、「そんなの謝れば良いに決まっているでしょう」と答えたら、この子はがっかりするでしょう。さらに「お前は18歳にもなって、そんなことも分からないのか」と言われたら、2度と心を開かないでしょう。
 私自身の考え方が正しいかどうかは分かりませんが、私だったら「それは素直に謝るしかないよ。だけど、それがものすごく難しいことなんだよね。なぜなら、謝るためにはものすごく多くの勇気が必要だからね。勇気を持つことは大変なことだけど、頑張ってみないか。私は応援しているよ」と言いたいなと思います。そして、その子が謝ったことに対して、相手の子も謝ってきたら、「悪いのはあなたではない」と言って、握手してはどうだろうか。もし、相手が黙っていたら、もう一度「ごめんね」と言って静かに帰ってくれば良いよ。相手は突然のお詫びにどう対処して良いのか分からず戸惑っているだけなんだ。もしかしたら、しばらくしてから、握手を求めてくるかも知れないよ。もし、相手が「そうよ悪いのはあなたよ」と言ってきたら、「ごめん」ともう一言だけ言って、走って帰ってきな。私があなたの気持ちを全て受け止めてあげるよと言いたいなと思います。

 この子は、謝ればよいことくらい誰に相談しなくても分かっているのだと思います。それに対して、「謝ればよい」という答えしか大人が返さなければ、相談するだけ無駄だと思ってしまうと思うのです。この子は、素直になれない自分やそれを表現できない自分が、どうしたら素直に言えるのか、それを求めているのだと思うのです。そのためには、素直になるには、勇気が必要だと言うことを、大人はまず知らなければいけないと思います。そして、勇気を持つためには、大人の励ましと何があっても見捨てないことをそれとなく伝えることが大切だと思います。そして、相手の反応として考えられることを、いくつか参考として教えておいてあげると、実際の場面になった時に慌てなくても済むように思います。

 こんなことをいろいろ思いながら、本を読み始めました。長くなると思いますが、よろしければお付き合いください。

 ・・・続く  


Posted by アルプ at 20:57Comments(0)

2015年01月29日

またブログを復活したいと思います

 このところ、facebook主体でブログは何も書いていませんでしたが、また復活したいと思います。

 先日NHKがクローズアップ現代で取り上げた吉野弘さんの詩に接して、自分自身が見つめてきた心の裏側、内面をもう一度、こちらに書いてみようと思います。

 書く頻度は少ないと思いますが、時折、冷やかしに来てください。  


Posted by アルプ at 20:38Comments(0)雑記

2014年01月20日

ハンセン病に感謝した詩人

 「てっちゃん」ハンセン病に感謝した詩人

 アマゾンでこの本を注文しました。その後に気がついた「てっちゃん」こと桜井哲夫さんの詩集も購入する予定です。

 「らいになって良かった」こんなことを言える人は、この人だけでしょうね。

 でも、どんな障害を持っても、「障害を持って良かった」と思える人間になりたいと、私もずっと思ってきました。

 30代半ばで、視覚障害者の登山サポートを始め、いろんな人と付き合う中で、私は「障害があるからこそできること」「障害者でなければできないこと」があると、ある中途失明の男性に話してきました。彼は、他の人に、「障害者にこんなことを言うやつがいるよ」と言っていました。

 多くの人がそうですが、障害者の役に立ちたいと思って登山サポートをしています。私も最初はそうでした。

 でも、障害者のためを思うなら、障害を持つ人が幸せになるようにサポートする必要があると思いました。なぜなら、健常者を憎み、障害者を馬鹿にする障害者の人がいたからです。その人は、とても不幸でした。

 障害を持っても山に登るという楽しみができることで、幸せだと感じると思います。しかし、病に倒れて山に登ることはできない、一生ベッドの上かもしれないとなったらどうでしょうか? 私は、どんな状況になっても「幸せだ」と思えることが大切なことなんだと思いました。

 そのためには、幸せとは何かを考える必要がありました。山に登るというような物理的なことでしか幸せを感じられないと、それができなくなった時に不幸だと感じてしまいます。だから、「幸せ」とは、心(精神)の中にあるものが本物だと思いました。

 それでは、どういう心を持てば幸せだと感じることができるのでしょうか?

 それは、以前、立教大学の学生さんたちにも話したのですが、「感謝の心で自分の心が満たされた時」が、最も幸せな心の状態だと思います。

 それでは、「感謝の心」とは何か。それは、「ありがとう」と相手に言うかどうかは全く関係ないことで、目の前に誰もいない時に沸いてくる気持ちの方が本物だと言うことです。なぜなら、最も深い「感謝の心」というのは、「心の奥からわき上がってくる深い喜びの気持ち」だからです。

 そういう深い喜びの気持ちに満たされることが、最も幸せな心の状態です。

 障害を持つことが、どうしたら喜びになるのでしょうか?

 障害者でない私がこんなことを言うのは適切ではないだろうと思います。
 でも、大切なのは、考えることだと思っています。

 ハンセン病を煩った桜井さんは、失明したり手足を失い、声帯を冒されたり、皮膚の神経感覚をなくしたりしたようです。病気で苦しんでいるのに、差別や偏見、心ない仕打ち、妻や娘も失い、絶望の気持ちにさいなまれたことと思います。

 彼に直接話を聞いてみたいところですが、彼は詩人ですから、人の心や自分の心を深く見つめてきたと思います。考え続けてきた中で、彼は、自分のもとに降りかかる様々な苦難がハンセン病の人でなければ味わえないことだと感じたのだと思います。その苦難によって、多くのことを感じ、学ぶことができた。それは苦難があったからこそで、苦難を作り出したのがハンセン病だから、彼はハンセン病に感謝したのだと思います。

 それと、もう一つ言えるのは、彼は本当の幸せとは何かをずっと考えてきたのだと思います。それでなければ、「ハンセン病に感謝する気持ち・感謝したい気持ち」は沸いてこないだろうと思います。

 それらを深く考えてみると、やはり彼は詩人だったから、心を深く考える人だったから、そういう気持ちを持てたとも言えるかもしれませんね。

 とにかく、読ませていただきます。とても楽しみです。




  


Posted by アルプ at 21:41Comments(0)

2013年10月19日

認知症は水分不足に原因がある?

 ある方から紹介されて「水をたくさん飲めば、ボケは寄りつかない(著者:竹内孝仁)」という本を読んでみました。

 認知症と熱中症は似た症状を起こしますが、それはどちらも水分不足が原因だからということが書かれています。
 また、子どもは体に水分の占める割合が75%ですが、大人は60%、高齢者は50%だそうで、1%低下しただけでも
大きな影響を受けるそうです。体重50kgの高齢者の水分量が25kgになりますから、その1%だと250ccです。
 それだけ不足しても大きな影響が出るとしたら、確かに水分量に注意しなければならないなと思いました。

 著者は、1日に1.5リットル摂取する必要があると書いています。実際にそれで認知症が治るかどうかは?ですが、
水分をたくさん摂ることは間違った方向にいかないと思うので、できるだけ多めに摂るように心がけた方が良いかも
しれませんね。


  


Posted by アルプ at 22:22Comments(0)高齢者関係

2013年09月28日

クレオパトラニードル他

ひさしぶりに書きます。
先日、早月尾根から剱岳に登ってきたのですが、そのとき、八ツ峰にあるクレオパトラニードルのことが話に出たので、その紹介とついでに他の写真も掲載しました。


 上の写真が、クレオパトラニードルと雷鳥です。


 春の八ツ峰はこんな感じです。このときは、私の写真に写っている彼はスキーを担いで登りました。


 八ツ峰の終了点(頭)付近ですね。左上に見えるピークが剱岳山頂です。


 ついでなので、上の写真は、小窓尾根から見た剣尾根です。左の尖ったピークが剣尾根の頭、右の丸いピークが剱岳山頂です。


 おまけですが、冬(3月)の後立山、大黒岳付近から見た剱岳です。


 もう一つおまけに、冬の遠見尾根から見た鹿島槍北壁です。今年の冬に、遠見尾根の途中まで計画していますが、どこまで行かれるでしょうか?
  


Posted by アルプ at 21:06Comments(0)登山

2013年01月03日

生きる意味がない?


 写真は、冬の日本海です。実家で撮った写真ですが、日本海は、静かな夏と違って、冬はいつも荒波が押し寄せています。防波堤のかなり上まで水しぶきが上がっていました。

 今日の読売新聞を読んでいたら、某大学の名誉教授が、惰性に流されて精神的な活力も失ったら、生きる意味がないというようなことを書いていました。

 生きる意味を見失っている人が、こんな文を読んだら、発憤して積極的な人生を歩むようになって、幸せになるでしょうか?

 私には、「やっぱり自分はダメな人間なんだ(ダメな人間だろ思われている、烙印を押されている)」と思って、より一層、生きる気力を失ってしまうように思います。

 どう思おうとその人の自由なのですが、苦しむ人の気持ちになって考えたら、「生きる意味がない」なんていう言葉は使えないはず。

 人生は、生まれて生きて死んでいく、それ以外の何ものでもないと思います。

 生きているだけで、十分に人間として生きる意味があります。だから、あとは、自由に自分のキャンパスに、絵を描いていけばよいですよね。それらは全てプラスです。  


Posted by アルプ at 17:15Comments(0)心の話し

2012年11月01日

甲武信岳東沢釜の沢

 10月20日から21日にかけて、奥秩父の甲武信岳に源を発する東沢釜の沢に行って来ました。

 この沢は、4回目となります。

 1回目は、23歳頃、単独で11月3日に登ったのですが、降り続いていた雨が木賊沢の手前くらいから雪になり、みるみる10センチくらい積もって、雪を払いのけながら登った記憶があります。このときは、西沢渓谷から日帰りでした。

 2回目は、六つ星山の会にいたとき、弱視の人やその奥さんたちと登りました。

 3回目は、山仲間アルプを設立して、最初の年にリーダー養成として行きました。

 今回は、西沢渓谷ではまだ紅葉が始まったばかりでほとんど色づいていませんでしたが、東沢から釜の沢にかけての紅葉や、戸渡尾根1,700m~1,800m付近の紅葉はすばらしかったです。

 写真は、両門の滝で撮ってもらったものです。

 例によって、山仲間アルプのサイトに多くの写真を掲載していますので、ご覧ください。多少は、コースの参考になると思います。

 また、一押し写真に大きめサイズの写真も掲載していますので、ご覧ください。  


Posted by アルプ at 22:13Comments(0)登山

2012年09月26日

勝ち負けにこだわらなくても・・・

 今月は、15日から16日にかけて北アルプスの槍ヶ岳に、表銀座から行って来ました。

 表銀座を槍まで歩くのは34年ぶり。当時のことはほとんど忘れたけど、ヒュッテ西岳のテント場がとても暑かったことや、徳沢に泊まったとき上高地でビールを買った方が安いうことで、上高地まで往復したことくらいです。徳本峠越えは、1人ずつ渡ってくださいという橋が多かったことと、新島々までの車道が長かったことも覚えていますね。何せ、初めての北アルプスだったので、展望がすばらしかったこともある程度覚えています。

 上の写真は、今回、西岳付近から撮ったものです。槍ヶ岳から左手前に伸びる尾根が東鎌尾根です。今回登ったルートです。

 しかし、槍ヶ岳山頂は3時間待ちの大渋滞だったため、登らずに上高地に下山しました。山仲間アルプのサイトに写真集や報告があるので、ざひご覧ください。


 話は全く変わって、下の本は、今朝の読売新聞に広告が出ていた欣ちゃんの本です。

 欣ちゃんの書いた本なので、当然たくさん売れるとは思いますが、正直な気持ち、勝ち負けにこだわらなくても良いのでは・・・?と思います。ことわざでは、「負けるが勝ち」と言っていますが、それよりは、相手の気持ちをよく考えた方が、自分のためにも相手のためにもなると思うのですが・・・・・。


  


Posted by アルプ at 21:40Comments(0)雑記

2012年08月12日

楽しいことと幸せは違う

 先週は、山仲間アルプの「自然と親しむ子ども山登り教室」で、立山を縦走してきました。

 子どもたちに、剣岳の勇姿を存分に見せてあげたいと思い、最後は剣沢小屋に泊まりました。写真は、小屋の近くにある池に映った剣岳です。

 ここに池があることを知らない人が多いため、とても静かな剣岳ビューポイントです。


 話は変わりますが、いろんなことをして楽しいと感じることはとても大切なことだと思います。

 しかし、私は、「楽しいことは良いことだ」とする考えには、大切なことが不足していると思います。

 一つは、楽しいだけではなく、なぜ楽しいのかを考えることで、人としての奥行きが深まるということです。そこを考えずに、楽しいだけで終わると、人としての深みを持てないように思います。

 もう一つは、楽しいと喜んでいる影には、必ず楽しめずに苦しんでいる人がいるということを認識し、それらの人のことを考えることが大切だということです。

 引きこもる人たちび中には、人が楽しんでいるのを見ると落ち込む人が大勢います。それらの人たちのことを考えたら、無条件には楽しめないと思います。

 また、最も問題だと思うのは、例えば、いじめをする人は、いじめをすることを楽しいと感じて、人をいじめている場合が多いのです。どんなに楽しくても、人を苦しめては良くないはずです。

 ただ、いじめをする子に、「おまえは幸せか?」と聞くと、きっと「幸せじゃないよ」と返ってくると思うのです。楽しいと感じていても、幸せだとは思っていない。なぜなら、彼らは、大人から認められなかったり、先生から頭ごなしに命令されたり、自分を認めてもらえないことによるストレスを抱えています。

 そして、自分よりも惨めな状態にある子を見て楽しみ、そういう状態にある子を作り出して、優越感に浸って、満たされないものを埋め合わせする。

 すべてではありませんが、かなり多くのケースに当てはまる、いじめる側の心理ではないでしょうか?

 楽しいことは決して悪いことではありません。しかし、ゆがんだ楽しさもあります。ゆがんだ楽しさを持った人が、純粋な楽しさを持つようになるには、幸せになることが一番だと思います。

 その場合、もっとも重要なのは、「幸せとは何か」をよく考えることなんですね。  


Posted by アルプ at 11:35Comments(0)心の話し

2012年08月01日

子どもはみんなブナだよね

 写真は、5年前に白神山地で撮ったものですが、みずみずしいブナの林です。

 ブナは、いくつかの漢字がありますが、近年の日本で作られた「橅」という日本文字も使われます。

 これは、役に立たない木という意味で、「木」偏に「無」を付けたと聞いたことがあります。写真からもわかると思いますが、杉や檜のように、まっすぐ伸びずに、枝分かれしたりするため、木造住宅などに使えないと言うことで、役に立たない木という烙印を押されたのでしょうか?

 しかし、ブナは、保水力がすばらしく、森に多くの水を蓄えられますし、動物や多くの生き物を育んでくれます。杉や檜の林床は、光が届かず薄暗くて、他の植物は育ちにくいです。当然、動物たちも少ないでしょう。人間には花粉症ももたらします。それに比べると、ブナの林はとても明るく、林床にいろんな植物が育っています。

 私は、今、子どもたちの育成に多少関わっていますが、子どもたちは、まっすぐに育つことなどなく、ブナと同じだなと思います。
 それなのに、大人、特に学校の先生は、子どもたちをみんな杉や檜に育てたがるようです。

 曲がっている部分を修正してまっすぐに変えようとしますが、それは変わったとしても、表面的にまっすぐに見えるようにしているだけで、中には大きなストレスが残りますから、当然、いつか爆発します。

 子どもたちは、自分らしい姿で、いろんな形に育てば良いんですね。障害のある子は、他の子以上に曲がっている部分が多いだけで、さまざまな生き物を育んだり、人の役に立つ水を保水する能力は、決して変わらないはずです。

 経済的に役に立つ杉や檜にならなくたって良いよね。みずみずしく、他と共存できる、自分らしいブナに育って欲しいね。  


Posted by アルプ at 20:54Comments(0)子ども

2012年06月27日

何もしないこと

 河合隼雄さんの「人の心はどこまでわかるか」を読んでいますが、とにかくいろんなことで参考になりますね。

 「心理療法士の仕事は、何もしないこと」とも書いてあります。

 誤解する人がいると思いますが、「何もしないこと」というのは、手を出したり、指示・命令・誘導などをしないということです。

 静かに見守って、様々な心の動きを見逃さずに、把握することは非常に重要で、心理療法士はそれを行っています。

 一般の場合ですと、「何かをしてあげる」人は、評価されたり、良いイメージで語られます。

 ですが、一面ではよいものの、別な面から見ると、マイナス面もたくさんあるのです。

 「あの人はとても気が付くのに、自分は気が付かないだめな人間だな」と思う人もいます。やってあげたことによって、別の人を傷つけているとも言えますね。

 また、やってもらうことになれてしまって、いつの間にか依存してしまう可能性もあります。

 自分が何かをしてあげようと思うときは、そのことによって傷ついたりする人がいないか、相手の人はどのように受け止めるかを考えて、最善と思うことを行うことが必要なのですね。できる限り、成り行きではなくて、考えることです。

 心理療法士は、「やってあげる」のではなくて、相手の持っている力を引き出すことが仕事です。

 話を良く聴いて、相手の気持ちをできるだけ深く考え、そしてそのままを受け止めていると、いつしか相手は自分自身で動き始めることがあるのですね。それもまた、良いとか悪いという判断をしないで、そのまま受け入れることが大切なんだと思います。

 これは、心理療法士だけでなく、すべての人が持っていると、より良い人生を送れそうですね。  


Posted by アルプ at 20:12Comments(0)心の話し

2012年06月11日

障害がなかったら

 今、以前読んだ河合隼雄さんの「人の心はどこまでわかるか」という本を読み返しています。

 内容は、全くといって良いほど忘れていました。

 ただ、河合さんの話は、とても分かりやすく、私自身の考え方ととてもしっくり合うので、うんうんと納得することばかりです。

 まだ、全部読み終えていないのですが、86ページに「治ることの悲しさ、つらさもある」というタイトルで自分の足のにおいを気にしていた人が入院による治療によって治り、めでたく会社に復帰することになったことが書かれています。

 家族も大喜びで、復帰最初の出社の日は、家で赤飯を炊いて待っていました。ところがその人は、家に帰らず、裏山で首を吊って自殺していたそうです。

 彼の本当の苦しみは、足のにおいなどではなく、会社の中にあったんですね。足のにおいに苦しむことが理由になって、苦しい会社に行かないことで、自分の身を守っていたのです。その理由がなくなってしまい、しかも家族は大喜びなので、今更、私が苦しんでいる理由は違いますとは言えなくなってしまい、死ぬ以外に道がないと思ってしまったのですね。

 これは、医師の誤診なのだと思いますが、人の心を見つめることは本当に難しいことですね。よかれと思ってしたことが完全に徒になってしまった事例ですね。


 私は、これまで多くの視覚障害者の人たちと付き合ってきましたが、これに近いことは頭に入れていました。

 以前、視覚障害者のガイドヘルパーの講習を受けたとき、講師として話をしてくれた全盲の方は、障害を持つ前と持ってからでは、人間関係の幅が大きく変わり、障害を持ってからは比較にならないほど、多くの人と関わりを持つようになったと言っていました。

 人は、誰もが、障害がない方が幸せだと思っています。私も、基本的にはその通りだと思いますし、自分が自由にできる範囲が広がった方が、幸せに近づけると思っています。

 ただし、必ずしもそうとは言い切れない人もいるのです。

 生まれつき障害があることで、親ははれ物に触るように我が子を育て、その子はわがままを言ったり自己主張の強い人になります。障害があるのだから、やってもらって当然と思う人もいます。

 人間的には好きになれなくても、障害があることで多くの人が関わるようになります。わがままを言っても、誰かが聞いてくれます。

 ところが、もし医療技術の進歩で、その人の障害がなくなり、目が見えるようになったら、どうでしょうか? 最初は、みんな良かったねと喜んでくれます。しかし、もう面倒を見なくても良くなったということで、どんどん人が離れていってしまいます。

 その人が、相手の人を大切にする人なら、障害がなくなってもその人間性に惹かれてつきあいを継続すると思いますが、わがままだったり自己主張が強いと、これ幸いにと離れていってしまいます。

 障害がなくなったからといって人の性格はそう簡単には変わりません。なぜ、みんな自分を避けるのかが分からず、孤独感に苛まれ、世の中を恨むかも知れません。


 私は、今まで、障害があろうとなかろうと誰でも受け入れながらも、その人が抱える問題をしっかりと心に留めて、いつか機会があったら、伝えたいと思ってきました。これからも、それは変わりませんが、伝えることは非常に難しく、わがままをそのまま受け入れる人もいますから、悪者になる覚悟も必要です。

 河合さんのこの本では、「父性」ということになりますが、「母性」と「父性」の両方を持てるようにがんばって生きていきたいなと思います。がんばんべ~!


  


Posted by アルプ at 22:20Comments(0)心の話し

2012年06月06日

サクラスミレ

 先週の土曜日は、NPO法人山仲間アルプの活動で、赤城山に行って来ました。

 赤城山は、いくつものピークを持つ山の総称です。今回は最高峰の黒檜山ではなく、一等三角点のある地蔵岳と三等三角点のある長七郎山でした。

 キビタキに何度も会い、ミツバツツジやシロヤシオ、オオカメノキなどの木の花やヒメイチゲ、フデリンドウ、コケリンドウなどの草花も楽しめました。

 写真は、スミレの女王といわれているサクラスミレです。特別美しいとは思いませんが、花の大きさは、スミレの中では大きい方ですね。

 山仲間アルプのサイトに、キビタキなどの写真を掲載していますので、そちらもぜひご覧ください。


  


Posted by アルプ at 16:56Comments(0)自然観察

2012年06月04日

不登校が教えてくれた母ごころ

 師友塾というところが発行した「不登校が教えてくれた母ごころ」を読んでみました。

 師友塾の大越塾長さんから教えられたお母さんたちの言葉をまとめたもので、やや教祖を信望するという感じがありますが、大越塾長が話してくれたという「子どもの存在をまるごと受け止めるはらを決めなさい」とか「見たものに惑わされてはならない、聞いたことに支配されてはならない」、「考えること自体が正しいと教えよう」などなど、私自身が普段から思っていることでもあり、その通りだと思いました。

 大越塾長さんに私など、足元にも及びませんが、普段から思っている方向性が間違っていないことが分かり、少しホッとしました。


  


Posted by アルプ at 21:02Comments(0)子ども

2012年05月23日

不登校

 今日から勝田台の図書館で借りた「不登校が教えてくれた母ごころ」という本を読み始めました。

 この本は、まだ読み始めたばかりなので、感想は書けませんが、最初の頃に書いてあることで、感じることがあったので書いてみます。

 我が子が、不登校になったとき、親御さんは、どのようにお子さんを受け止めるでしょうか?

 社会の荒波を乗り越えていくためには、精神的にも強くなければならないのに、まだ温室の学校通いの段階で、負けてしまうなんて、これからが心配だと思ったり、我が子のふがいなさを嘆いたり心配したりするかも知れませんね。

 それは、当然のことだと思いますし、間違っているわけではありません。

 しかし、心やさしく、感受性が強い子が、不登校になったとしたらどのように思うでしょうか?

 不登校にならず元気に学校に通っている子も大勢います。その中には、心やさしく感受性の強い子も大勢いることでしょう。ですが、鈍感で、自己主張ばかりする子も大勢いるはずです。

 心やさしい我が子が不登校になったとき、親御さんは、既成概念を心の隅にしまって、我が子と人としての本来あるべき大切な生き方を話し合ってみてはいかがでしょうか?

 大人は、考えたからといってどうなるものではないと、人生経験の中から学んでしまい、人としていかに生きるべきかという問題を、どこかに置き忘れてしまっていることが多々あります。

 子どもたちの不登校は、大切なことを忘れちゃいけないよという、非常に大切なメッセージなのです。

 それをどのように受け止めるか、現代社会そのものが問われているのだと思います。

 不登校になって、そのメッセージを発した我が子は、すばらしい人なので、師友塾の大越さんという塾長さんは、「子どもが学校に行かなくなったら赤飯をたきなさい!」という本を書いています。

《追記》
 「子どもが学校に行かなくなったら赤飯をたきなさい!」という本は、まだ読んでいないのですが、簡単に言うと、大切なことは、プラス思考で考えることだということですね。

 この世で起きるものごとに対しては、さまざまな見方がありますが、大きく分けるとプラス思考とマイナス思考に分けられます。

 我が子が不登校やひきこもりになって、「子どもから苦労をさせられる」と思う親よりも、「子どもから、今までの自分の尺度では測れない大切なことを学ばせてもらっている」と思う親の方がプラス思考ですし、そのように考えると、いろんなことが見えてきます。

 人は、ついついマイナス思考に傾きがちですので、今、自分はどういう状況にあり、どのように考えているのか、少し立ち止まって考えてみると、きっと何かが見えてくると思います。


  


Posted by アルプ at 19:40Comments(0)子ども

2012年05月22日

スカイツリーと同じ標高の山

 昨日は金環日食で盛り上がったと思ったら、今日はスカイツリーの営業開始日で、また盛り上がりましたね。

 スカイツリーには、まだ当分行くことはないと思いますが、今朝のNHKのニュースで知ったのですが、私のふるさとの山で、毎日見て育った弥彦山がスカイツリーと同じ標高なのだそうです。

 上の写真は、私の生まれ故郷の出雲崎町から見たものです。海を隔てて、毎日見ていました。

 出雲崎のホームページもあります。こちらもぜひご覧ください。

 下の写真は、弥彦山の麓で撮影したキクザキイチゲです。とてもきれいな花ですね。  


Posted by アルプ at 20:39Comments(0)登山

2012年05月21日

金環日食

 今朝は、金環日食の話題で盛り上がったと思いますが、みなさんのところでは見られたでしょうか?

 こちら千葉県の八千代市は、雲が厚くて7時30分から40分くらいまでは見られなかったのですが、その後、雲が薄くなったところで、すりガラスを通したように見ることができました。日食めがねでは、逆に真っ暗で何も見えませんでしたし、写真も撮れなかったかも知れません。

 上の写真は、7時40分くらいで、まだ全周がリングでつながっているところです。

 下の写真は、7時45分頃で、一部が欠けているところです。  
タグ :金環日食


Posted by アルプ at 12:37Comments(0)自然観察

2012年05月06日

五竜岳から唐松岳縦走

 連休前半は、NPO法人山仲間アルプのリーダー養成で、遠見尾根から登り、五竜岳を往復後、唐松岳に縦走し、八方尾根を下りてきました。

 初日、2日目とも、天気に恵まれ、とても暖かでした。展望も良く、春霞はあるものの、鹿島槍ヶ岳や剣岳、立山、白馬方面、そして遠く槍穂高も見えていました。

 また、最終日は曇り空でしたが、おかげでライチョウを4羽も見ることができました。

 五竜岳は山頂直下の雪壁よりも、そこまでのトラバースの方が要注意ですね。また、牛首は最後の岩場よりも、そこまでの岩場のトラバースの方が要注意でした。鎖が雪に埋もれていたこともありますが、岩と雪のミックス帯は細心の注意が必要です。

 写真は、遠見尾根から見た五竜岳ですが、NPO法人山仲間アルプのサイト(新着情報)に報告や写真を掲載しています。また、「一押し写真」には、大きいサイズの写真も掲載していますので、そちらもぜひご覧ください。  


Posted by アルプ at 10:00Comments(0)登山

2012年04月04日

男と女

 男と女の話と言っても、違いは説明できないほどあるので、ここでは一つのことだけを書いてみます。

 ただし、すべての男と女が同様だと言うことではなく、どちらかというとそういう傾向にあるのでは?というところで、考えてみてもらえると良いかと思います。

 一般的に、女はやってあげることで満足する傾向があります。これは母性本能が影響していると思うので、かなりの部分、生まれつき持っているものとも言えるのではないかと思います。

 それに対して、男は、子どもの頃は人のことなど考えず、自分のやりたいことをしているだけです。

 この辺のところが20代などの若い頃には、女の方が大人っぽいといわれる大きな理由になっているように思います。当然、理由はこれ一つではありません。

 よく子育てには母親だけでなく、父親も関わることが大事だと言われますが、この理由はなぜだと思いますか? 母親の忙しさや精神的な苦痛を分担するという物理的に大切な理由もありますし、確かに、それだけでも十分なのかも知れません。

 ですが、せっかくなので、男でなければなかなか持てないものを使って、子育てに取り組んだ方が、子どもが幅広い人格を持てるようになるのではないかなと思っています。

 しかし、献身的な母親に対して、自分勝手な男が、どうして子どもの人格づくりに役立つのだと思うかも知れませんね。じつは、その通りだと私も思っています。自分勝手な人格に育ったのでは、親としてはやはり困りますよね。

 ただ、私自身が感じるところでは、男が子育てに関わると、男自身が変わってくるように思うのです。

 自分勝手だった男が、どのように変わるのか?

 子どもが小さいときは、母親でなければ関われないことがほとんどだと思います。男は、何もできず、たたずんでいるしかないでしょうん。ただ、そのときに、何も関われないからと言って、遊びに行っていたのでは、自分勝手な男のままで成長できません。

 何もできなくても、静かに見守ることができれば、それを通して、見守ることの大切さを男は学べるように思います。

 女は、先天的に、やってあげるやさしさを持っていますが、男は、後天的に、見守るやさしさを身につけます。子育てに、その両方を生かすことで、子どもは健やかに育つのではないでしょうか?

 後天的といっても、男もやはり、乳児の頃に母親からもらった大切なものを持っているかいないかで、後天的なやさしさを身につけられるかどうかが、かなりの部分、決まるのかも知れませんね。


 写真は、3月25日に行った裏高尾のハナネコノメです。山仲間アルプのサイトにも、写真がたくさんありますので、ご覧ください。
  


Posted by アルプ at 15:25Comments(0)心の話し