私の居場所はどこ?
最近、子どもたちのことについて書かれた本を読んでいますが、今度は「私の居場所はどこ?(中学生編)」を読んでみました。この本は、学校の保健室で子どもたちと関わってきた養護教諭の方が書いた本です。
子どもたちが保健室に来ることが、以前は良くないこととして考えられていたようです。保健室に子どもが来たら、教室に戻るように追い返してくれと先生方から言われていた時期があったのですね。今はどうなのか分かりませんが、大人の価値観に添うように子どもたちを教育することが大事なことだと考えられていたようですね。そこには、子どもは大人が教えなければ、悪い人間になるという考えがあったのでしょうか?
しかし、この本には、子どもたちをあるがままに受け止め、全てを受容してあげることで、子どもたち自身が変わってくるというようなことが書かれています。第2章のタイトルにもありますが、「本音を出せれば子どもは変わる」ですね。
この本の中にも書かれているのですが、おばあさんなどは「今の子は恵まれている。だから、頑張ればもっとできるはず」という見方も多いのかも知れません。でも、私には今の子どもたちは、決して恵まれていないように思います。私が子どもの頃は、お金なんて持っていませんでしたし、誘拐の心配もしないで良かったし、怪我をしても良かったですし、大学に行かなくても良かったですから、テトラポットを走り回って遊んでいたし、ワラビやゼンマイ、キノコ、クリなどを裏山に取りに行ったり、海で毎日泳いだり、みかんの木箱を使って、本を読みながら巣箱を作って裏山の木にかけに行ったりしました。巣箱には、3年後くらいにシジュウカラのヒナが入っているところを見ました。鉄道模型を欲しくても、お金がなかったから買えなかったですね。
今の子どもたちは、ものがあふれたところで生活しているし、誰もが大学を目指さなければならないような価値観を押しつけられている面もあるし、自然はとても遠くになってしまっているし、本音で生きられないことも多すぎるように思います。恵まれている面もありますが、それは物質的な面だけではないでしょうか?
学校は何のために行くのでしょうか? 良い大学に入るためにいくのでしょうか? 違いますよね。幸せになるために行くはずですよね。子どもたちは、自ら学びたい気持ちも持っているし、困難なことにチャレンジしたい気持ちも持っています。それが、好奇心ではないかなと思います。
先日、NHKで言っていましたが、フィンランドの子どもたちに比べて、日本の子どもたちは、理科などの基本的なことが明らかに劣っているということでした。子どもたちは、実験をしたり、身近な興味のあることであれば、好奇心を持って楽しく勉強できるし、楽しければやる気がでてくると思います。ですが、大学受験のための勉強だと、効率を求めて試験に出ることだけ勉強させたり、記憶することに重点が置かれていないでしょうか? これでは、子どもたちはやる気を持てないですよね。大学受験のためではなくて、子ども一人一人違う興味をそれぞれが生かし、追求できるような勉強をすれば、きっと子どもたちはやる気を出し、生き生きと学校生活を送れるのではないでしょうか?
小さな子どもたちを見ていても、例えば滑り台は、梯子の方から登らずに滑る面から上がっていきます。子どもたちは、困難なことにチャレンジしようとする精神を本質的に持っているのではないかなという気がします。大人は、子どもたちの可能性の芽を摘まないようにしたいですね。
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