自分のこころと向き合う

アルプ

2009年09月25日 21:11

 先日、ある男性から、「障害者の人たちと旅行に行くんだけど、交通費などで2万円近くかかる。人の世話をし続けるだけで、何一つ楽しくないのに、なぜそんなにお金を払って行かなければならないんだ。せめて補助がほしいなー。」という意見を聞きました。

 じつは、これと同じ経験を私もしています。もう10年以上前ですから、30代後半だったでしょうか? 脳性麻痺の人(確か二人だと思いますが)やボランティアの人、数人と長野県にスキーに行きました。

 しかし、スキーといっても、こちらが滑れるわけではなく、そりのようなものに乗せてあげて、10mほど滑り降りるのを手伝ってあげるだけでした。現地の人との交流を手伝い、入浴も手伝います。しかし、酒などはほとんど飲めず、夜は、長く付き合っているような人が、脳性麻痺の男性に、厳しく説教していました。そんな話を深夜まで聞かされ、何一つ楽しいことはありませんでした。

 そして、参加費(交通費、宿泊費)は、確か3万円から4万円しました。当時は、企業に勤めていましたから、十分に出すことは可能だったのですが、無償のボランティアならず、多額のお金を払ってボランティアをすることになりました。

 このことで、私はこころの中に強い葛藤を感じました。なんでボランティアをするのに、こんなに多額のお金を払ってしなければならないのだ。せめて補助をもらいたい。しかし、障害を持つ人は、ほとんど働けないので、お金は持っていないから、ボランティアの分を出すことはできない。それなのに、お金を出したくないと思う自分。

 ただ、そんな葛藤の中で、最終的に思ったのは、高いお金を払って参加したことによって、自分自身のこころと向き合うことができたという事実です。こんなこころと向き合うことは、高いお金を払わなければできなかったことです。ですから、これは決して無駄な投資ではなかったと思い直しました。

 このときの経験は、今のNPO法人山仲間アルプの活動にも生かされています。人の役にたとうと思うボランティア側の人も、楽しくなければ決して長く続かないということを身をもって体験できたのです。

 「共に楽しむ」ために何が必要なのでしょうか?

 ボランティア側が、「やってあげる」という気持ちを持っている限り、決して共に楽しむことはできません。もし、そんな気持ちを障害者に気づかれたら、ほとんどの障害者はこう思うでしょう。「障害さえなければ、こんなやつの世話になんかならずにすむのに。」と。そして、そんな気持ちをのど元までで抑え込んで、唇を噛みしめて、「ありがとうございます」と言うでしょう。

 「やってあげている」という気持ちは、障害者だけでなく、誰に対しても持たない方が良いのです。やってあげるという気持ちを持っているのは、思いやりではなくて、思い上がりといっても良いでしょう。

 「共に楽しむ」ために、一つ大切なことは、人の喜びをそのまま自分の喜びとして感じることなのだと思います。これができない人は、やはり共に楽しむことはできないだろうなと思います。最初はできているようでも、いつか必ず表に出てくることがあるように思います。

 そして、みんなが共に楽しめるように団体を運営するのは、それだけでも足りません。いろんな個性を持った人たち、それぞれへの配慮が必要なのです。だけど、その配慮は決して表に出さずに、いつまでも継続することなんですね。

 表に出さないわけですから、気が付かない人はいつまでも気が付かない。それを受け入れられなければ、いつかボロが出てしまう。どこまでも自分との闘いですね。

 まあ、がんばんべー!

 上の写真、大昔ですけど、「山と渓谷」に載ったんですよ。北岳バットレスを登って、北岳山荘のテント場で泊まった時、翌朝撮った写真です。


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