いじめと不登校
ようやく昨日くらいから八千代市でも桜が咲き始めましたね。写真は、今日、八千代台の公園で撮影したものです。
今、図書館にあった河合隼雄さんの書かれた「いじめと不登校」という単行本を読んでいます。
河合さんの書かれる(講演で話した内容ですが)内容は、「うんうん、その通りだ」と思ったり、「なるほど、確かにそうだな」と思うことがたくさんあるので、読んでいても、そのまま頭に入ってきます。
一つの事例ですが、学校に「髪を何センチ以下にしなければならない」とか、「染めたりしてはいけない」というような決まりのあるところは多いのではないでしょうか?
ある学校で、その規則をやめたのだそうです。そしたら何か変わったことがないか、先生に聞いたら、先生が「子どもの顔を見るようになった」と言ったそうです。
規則があると、髪が伸びていないかとか、染めていないかなどにばかり気持ちが向かっていて、生徒の顔に気持ちが行っていなかったのです。髪が規定よりも伸びていたら、切るように注意したり、茶髪だと、それだけで不良扱いしたり、決まりを守らないだめな人間と見てしまいます。
しかし、決まりを取り払ったおかげで、そんな細かいところを見なくても良くなり、子どもの表情をしっかりと見るようになったそうです。「今日は浮かない顔をしているな」とか、「とてもうれしそうな顔をしているな」というように、子どもたちの顔を見ることによって、子どもたちの気持ちを感じれるようになります。
私は、以前から法律や規則は、少なければ少ない程良いと思ってきました。なぜなら、何か過ちを犯したときに、「法律がこうだからこうだ」という考え方しかしなくなることが恐ろしいと感じていたからです。
大切なのは、その人がどんな気持ちで、それをしたのかだと思うのですが、法律を決めると、有無を言わせず、決めつけられてしまいます。
以前、テレビの討論番組で、いじめは犯罪だから、法律で取り締まればよいと言う政治家がいました。子どもの時に、おもしろ半分などでいじめをしてしまったために、犯罪者としてのレッテルを貼られたら、もうその子は、立ち直る機会を社会から奪われてしまいます。そして、裏街道へと進んでしまうでしょう。
大切なのは、いじめをする子どもの気持ちをよく考えて、いじめなんてしたくないと思えるように、その子の心を育ててあげることなんですよね。
今回の本は、まだ読んでいる途中なのですが、「子どものために何かしない愛情」も、すばらしい考え方だなと思っています。教育といいますが、先生は「教師」で、教える師ですが、河合さんは、「育師」だと言っています。私も、「教師」より、今必要なのは「育師」だと思います。教えることよりも、育てること、子どもたちが育つことをサポートすることが大切なんですね。
教えることが、育つ機会を奪うこともあります。「子どものために何かをしてあげる」ことが、子どもの育つ機会を奪うことも多々あります。
過去の教育と子育てとは違う、今の時代にあったものを見つける必要がありますね。
最後になりましたが、昨日は、八千代市のふれあいプラザに、夕食の後かたづけボランティアに行ってきました。
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