2015年01月30日
「子どもが見えない」の感想・その2
友だちって何でしょうか?
もう7年くらい前になるでしょうか?
いじめ問題を扱う掲示板に、「友だちって何ですか?」という質問(らしき投稿)が中学生の女の子からありました。
こんなおっさんなんだからよせば良いのに、我慢できなくて返答しました。
「友だちというのは、こうあるべきだというように相手に求めるものではなくて、自分がこの人が友だちだと思ったら、その人が友だちだと思うよ」と書きました。
古い人間だからなのかも知れないけれど、もう何十年も会っていない親友もいます。
友だちは人間だけではないかな? 山も歌も友だちだと思います。なぜかって、自分になくてはならないものだから。
「子どもが見えない」のPart2は、「友達との関係」です。
お揃いのブランドもののファッションに身を包んだ小学6年生の2人連れ、2人に「親友なの?」と聞くと、「微妙な関係」という答え。お揃いの服を7着も揃え、よく互いの家に遊びに行く2人。でも、親友とは言えず、曖昧な返答しか返ってこない子どもたち。
この章に登場する子どもたちは、全員が女の子でした。だから、もしかしたら30年くらい前から変わっていないのかも知れませんが、男の私から見ると、今の友達関係は、やはり疑問符を打たざるを得ませんでした。
掲示板に寄せられた20の発言(女の子だけ)のほとんど全てが、実在の友達は信じられなくて、本音を出せないと思っていました。
友達に思っていることなんて言えるわけがない。顔を合わせて何かを言って外されるのが怖い。友達には本音は言えない。友達なんて表では良いことを言っているけど、裏では何を思っているか分からない。人に嫌われたくないから、相手に合わせて自分を変えているうちに本当の自分が分からなくなってしまう女の子。友達とか親友って、みなさんにとって何ですか?という問い合わせに、友達や親友なんて存在しません。幼なじみは幼なじみでしかないし、仲良しは仲良しでしかないと答える子。気を使うことが毎日で、友達なんていらないんだけど、一人は寂しいから作るという子は、みんなが一人だったら私も友達を作らない。そして、こんなことを思う今の時代は普通なんだろうか?と。
私には、多くの子どもたちが、何でも話すことができて、相談に乗ってくれる友達が欲しいのだと思います。でも、実際には、いじめられたくないから、仲間はずれにされたら寂しいから、嫌われたくないからという理由で、表面的に一緒にいるだけという感じがします。表面的でも一緒にいなければ仲間はずれにされる。本音を言えば、気まずい状態になり、今までの一緒にいる関係が崩れてしまう。そして、何でも本音で言えるのは、ネット上だけ。これが、今の子どもたちの世界なのでしょうか?
男の子たちの世界も知りたいと思いますが、これほどまでに友達に気を許せないとすると、その原因はいったいどこにあるのでしょうか? 私には、どうしても分かりません。ただ、もしかしたら、大人の本音と建前が、幼いうちから子どもたちの心に浸透し、人に心を許すことができなくなったのでしょうか? それにしても、本音を言ったら、次の日から口も聞いてもらえなくなるというのは、あまりにも寂しい世界のように思います。人間関係の修復の仕方も知らないのでしょうね。
こんな子どもたちの世界を、私たち大人は、どのように捉えたらよいのでしょうか? 大きな課題のように感じました。
もう7年くらい前になるでしょうか?
いじめ問題を扱う掲示板に、「友だちって何ですか?」という質問(らしき投稿)が中学生の女の子からありました。
こんなおっさんなんだからよせば良いのに、我慢できなくて返答しました。
「友だちというのは、こうあるべきだというように相手に求めるものではなくて、自分がこの人が友だちだと思ったら、その人が友だちだと思うよ」と書きました。
古い人間だからなのかも知れないけれど、もう何十年も会っていない親友もいます。
友だちは人間だけではないかな? 山も歌も友だちだと思います。なぜかって、自分になくてはならないものだから。
「子どもが見えない」のPart2は、「友達との関係」です。
お揃いのブランドもののファッションに身を包んだ小学6年生の2人連れ、2人に「親友なの?」と聞くと、「微妙な関係」という答え。お揃いの服を7着も揃え、よく互いの家に遊びに行く2人。でも、親友とは言えず、曖昧な返答しか返ってこない子どもたち。
この章に登場する子どもたちは、全員が女の子でした。だから、もしかしたら30年くらい前から変わっていないのかも知れませんが、男の私から見ると、今の友達関係は、やはり疑問符を打たざるを得ませんでした。
掲示板に寄せられた20の発言(女の子だけ)のほとんど全てが、実在の友達は信じられなくて、本音を出せないと思っていました。
友達に思っていることなんて言えるわけがない。顔を合わせて何かを言って外されるのが怖い。友達には本音は言えない。友達なんて表では良いことを言っているけど、裏では何を思っているか分からない。人に嫌われたくないから、相手に合わせて自分を変えているうちに本当の自分が分からなくなってしまう女の子。友達とか親友って、みなさんにとって何ですか?という問い合わせに、友達や親友なんて存在しません。幼なじみは幼なじみでしかないし、仲良しは仲良しでしかないと答える子。気を使うことが毎日で、友達なんていらないんだけど、一人は寂しいから作るという子は、みんなが一人だったら私も友達を作らない。そして、こんなことを思う今の時代は普通なんだろうか?と。
私には、多くの子どもたちが、何でも話すことができて、相談に乗ってくれる友達が欲しいのだと思います。でも、実際には、いじめられたくないから、仲間はずれにされたら寂しいから、嫌われたくないからという理由で、表面的に一緒にいるだけという感じがします。表面的でも一緒にいなければ仲間はずれにされる。本音を言えば、気まずい状態になり、今までの一緒にいる関係が崩れてしまう。そして、何でも本音で言えるのは、ネット上だけ。これが、今の子どもたちの世界なのでしょうか?
男の子たちの世界も知りたいと思いますが、これほどまでに友達に気を許せないとすると、その原因はいったいどこにあるのでしょうか? 私には、どうしても分かりません。ただ、もしかしたら、大人の本音と建前が、幼いうちから子どもたちの心に浸透し、人に心を許すことができなくなったのでしょうか? それにしても、本音を言ったら、次の日から口も聞いてもらえなくなるというのは、あまりにも寂しい世界のように思います。人間関係の修復の仕方も知らないのでしょうね。
こんな子どもたちの世界を、私たち大人は、どのように捉えたらよいのでしょうか? 大きな課題のように感じました。
Posted by アルプ at 21:04│Comments(0)
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